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若さゆえの選択⑤ (詩乃) ~対面、そして決意~

 上京してから、初めての冬。
 街行く中で目に入るネオンやイルミネーションは、地元と段違いだった。
 煌びやかで、華がある。
 地元の冬は、ただ寒くて暗い、一年の谷間だ。過ぎ去った後の春を待つだけの季節。でも、東京の冬は違う。イルミネーションやクリスマス、師走で賑わう飲み屋やショッピングモール。冬ならではの活気が、そこにはあった。

「お前、正月ってどうすんの? 実家に帰ったりすんの?」
 午後の仕事もひと段落ついたころ、遼平が詩乃に訊ねた。彼は詩乃より2年先輩だが、手先がとても器用で、そして何より色彩感覚がずば抜けて良かった。まだ二十代前半とはいえ、工房のエース。他の職人の多くも、彼に一目置いていた。

「いや、帰らないと思います。というか、帰りたくないし、帰れないので」
 帰ったところで、父や母と、つまらぬことで関係を悪くするだけ。
 自分の生き方に、過度な干渉をされたくない。若干寂しい気もしたが、両親からこれ以上とやかく言われるのは嫌だった。

「詩乃ちゃん……。詩乃ちゃんの気持ちもわからんでもないけど、帰ってあげた方がいいんじゃない? ご両親も、きっと心配されてると思うし」
 女将さんの声がして、詩乃は振り向いた。穏やかに微笑みながら、「ね?」と勧める副社長の顔がそこにある。女将さんは、社長である小路隆則の奥さんで、会社の副社長。工房では、「女将さん」や「亮子さん」と呼ばれ、皆から慕われている。大将である小路社長が言葉少なく、どことなく職人然として恐いイメージがある一方、女将さんである亮子さんは柔らかい物腰が特徴で、いつも朗らかに笑っていた。何か揉め事があったときにも、それとなく間に入って、緩衝材になることが多かった。

「うーん、でも」と詩乃は言い淀む。女将さんがそう言ってくれるのはありがたいが、どうしても心が進まない。目をそらし、曖昧に笑いながら答えた。
「ちょっと、考えてみます」
 お先に失礼します、と言って、詩乃はいつもより早く工房を後にした。

 帰り道、いつもは見とれるイルミネーションの光が、その日の詩乃の目にはまったく入らなかった。
 肩を落として、とぼとぼと歩く。
今まで心の中にあった、けれど見ないようにしていたわだかまりに、とうとう捕らえられたような気分だった。
 まるで、どんよりと暗く、先行きがまるで見えない地元の道を歩いているよう。
 はぁー、と、詩乃は冬の夜空に大きなため息をついた。

 工房の人たちが、親切で言ってくれているのはわかる。けれど、家族のことには立ち入られたくない。あの両親とは、どうしても分かり合えないからだ。実家に帰ったところで、きっと待っているのは、自分に対する否定の言葉だけ。帰省する気持ちになど、到底なれるはずがなかった。

「ただいまー」
 そう言ってシャアハウスのドアを開けると、早苗さんと玄関でばったり会った。
「あ、詩乃! ようやく帰って来た」
 胸を撫で下ろすように、早苗さんは言う。そして、この場を立ち去りたそうに、早口で続けた。
「詩乃の、お父さんとお母さんが来てるよ。Line、見てない?」
 じゃあ、私これからシフトだから。と、詩乃の返事も待たず早苗さんはバタバタと外に出た。

 えっ、お父さんとお母さん?
 詩乃の頭で、早苗さんの言葉が繰り返される。

 詩乃のおとうさんとおかあさんがきてるよ。
 詩乃のおとうさんとおかあさんがきてるよ……。

 胸の動悸が早まる。急いで靴を脱ぐと、玄関を上がり共有のリビングに繋がるドアを勢いよく開けた。
 目に飛び込んできたのは、リビングのソファにお客様然として腰掛けながら、仏頂面の父と母だった。その父と母の前に、不機嫌に顔を曇らせた玲奈さんが座っている
 ああ――。
 一瞬で、何があったのか察した。
詩乃は、両親を見据えたまま、ツカツカとソファに歩み寄った。

「あ、詩乃」
 最初に声を発したのは玲奈だった。突然訪ねてきた両親への憤りを顔に出ていた詩乃は、咄嗟に玲奈への表情を取り繕うとしたがぎこちなく顔が固まる。かろうじて、ペコッと頭を下げ、玲奈に申し訳ない意を伝える。
 この両親の仏頂面と、お客様然としてソファに座る態度。
 玲奈さんの不機嫌になった顔とリビングに流れる雰囲気から、きっと両親が余計なことを言って空気を悪くしたのが、容易に想像ついた。

「詩乃。お父さんとお母さん、詩乃を迎えに来たの。もう、東京で働くのは十分よね? お父さんとお母さん、詩乃みたいな人でも働けるようなところ、家の近くで見つけたの。だから、お父さんとお母さんと、一緒に家に帰りましょう」
 立ち上がった母が、さも当然のごとく詩乃に言い放つ。
 あれから、何も変わっていない――。
 こちらの意を汲まず、それが当たり前であるかのように言う母の言動に、詩乃は思わず眩暈を覚えた。

 同時に、詩乃の頭の片隅では、別の思考が働いていた。
 この両親とは、本当に決着をつけるしかないのかもしれない――。

 心身ともに、大きく疲弊することが予想された。
 それでも、胸の中では、潮時だとも感じていた。
 ここで、はっきりと自分の考えをぶつける。

 詩乃は、大きく息を吸い込み、そして静かに深く、息を吐き出した。

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