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【読書記録】遊びが学びに欠かせないわけ

出される宿題は増えているので、遊びの時間が削られています。子どもが宿題をやらなかったり、その結果が悪かったりした時は、親が後ろめたさを感じさせられます。
1日か2日でも子どもに学校を休ませるような家族旅行を計画したり、家での行事のために学校を休ませたりする親はもはやいません

僕の初海外旅行はハワイ、中学1年の頃だった。
父が「たまには学校を休んで出かけるぞ」と連れて行ってくれた。
学校は行くのが当たり前だった当時の僕の考えを覆してくれた。全くもって後ろめたさはなく、日常から離れ羽根を伸ばす感覚を味わった。
僕の子どもにも同じ体験をさせてあげたい。


信頼にあふれた親は、自分の子どもが自分で遊んだり探索したり、自分で判断したり、リスクを負ったり、自分の失敗から学んだりすることを信用しています。子どもの成長を評価したり、指示したりしようとは思いません。

「子どもは自主的な遊びと探索を通して、自らを教育する」←狩猟採集民の一般的な考え。


遊びにおける究極の自由は、「やめることの自由」です。もし楽しくなければ、やめたいと思う参加者も出てきて、遊びが終わってしまうことを知っているので、遊びは自分を満足させると同時に他の参加者たちも満足させるにはどうしたらいいかを学ぶ最適な手段です。


異年齢混合で行われる遊びは、能力の幅が大きく、足場の提供は継続的に、しかも自然に、そして無意識に行われます。年少者のレベルを少しでも上げないと、みんなでゲームを楽しむことが難しくなるからです。


1人の教育者として我が子にどんな遊び場(学び場)を提供できるだろうか。
子に関心を持ちつつ自由を奪わない「信頼にあふれた親」を目指したい。

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