「私に見向きもしないでいてくれてありがとう!」
そもそも恐れや不安や愚かさを体験するために生まれてきた。
四苦八苦、無明こそが人生の本質。
誰も目覚めや光明について、答えなど求めていない。
ただ虚しさだけがやってくる。
ネガティブな体験こそを欲する。
そのほうが効率がいいから。
どうしようもないという体験を欲しているのだ。
なぜ? ‥‥‥答えはいまだ見えない。
たとえば僕が死んでも
ようやく悟ったんだ。
誰も本当のことなんて知りたいと思ってない。
真実や真理までは求めてない、目先の安心と安全があればいいだけ。
手前勝手な小手先の手段で、それなりに裕福に暮らしたいだけなのだ。
そりゃ見えない心の在処なんてどうでもいいよね。
目の前の現実という幻想にそれを求め続ける。
目の前の現実を変えるのなんて簡単。
自分が変わればいいだけだから。
ではなぜ皆がそうしないのか。
恐れや不安を体験するために生まれてきたから。
もし仮に自宅のリビングで子供たちと映画を観ていて、映画のラストシーンを先に言えば必ず子供たちは怒るだろう。
「そんなことはわかってるよ!」
でも先に言うなんて酷いじゃないかと。
だからもう目を瞑ろう、両手で耳を塞ごう。
何も言わず巌のように静かに生きよう。
自分の作り出したこの現実で、やれることはもう何もないのだから。
でも少しだけ寂しかったんだ。
このことに気づいて、ようやくもう十分だと思えたのも事実。
肩の荷が下りたような、気持ちが軽くなったような感じ、わかるかな。
これからは、周りのことを気にしたり、競ったりしなくていいのだから。
幸せになろうなんてしなくていいから‥‥‥。
だからもう笑えなくなったとしても、涙も出なくなっても、好きな場所に行って。
可能な限りでいいので、挑戦し続ける人生にしよう。
決して無理はしなくていい、自分のペースでのんびり進めばいい。
そして、なんだか心地いいと思う場所に着いたら、そこで微睡んだり。
もちろん疲れたら気の済むまでお休みしょう。
心と体が癒されたら、きっとまた走り出したくなるはず。
そしてまた、いつものように好きなものを食べて、ただ生きればいい‥‥‥約束だよ。