般若のように生きる
「いますぐ心臓を止めてごらん?」
アツコはまずはじめにそう言った。
とりあえず私(シズエ)は「そんなのムリだよ」そう答える。
「なぜ?」
アツコは食い下がるようにそう言う。
「なぜって、自動的だからだよ、そうでしょ?」
アツコから当たり前のことを聞かれそれに応じられない自分に違和感を覚えながら答えた。
「つまりシズエは般若なの、それはわかる?」
………いや、ぜんぜんわかんない、誰かわかるひと教えてほしい。
───それから小一時間、よくわからないアツコ論法に耳を傾けていると、どうやら人生は全自動洗濯機のようで、人間は何か大きな導きのようなものによって生かされていることを般若の働きということが、うすぼんやりわかった気がした。
わたしはアツコに聞くでもなくこうつぶやいた。
「死ぬために自動的なの?」
アツコはすぐには答えるかわりに左側の耳に髪の毛をかけると、続きを促すように目を瞑る。
わずかに残る髪の毛の隙間から覗く耳の整った形状にさえ、般若が宿っているのだろうか、きっとそうだろう。
急に神々しくなったためか、私は自動的に頭上に指を立て、角を生やした格好のまま顔はにべもなく無表情のまま言葉がこぼれた。
「生まれるのも、死ぬのも自動的」
「意味のないことに意味を求めるのも自動的」
「般若のうねりの中、小舟に乗って自由にどこへでも行けると勘違い」
そんなとりとめもないことを矢継ぎはやにうそぶく。
アツコは胸に手を当てて(感極まるとする仕草)こう締めくくる。
「人生に意味を求めるってそういうこと」
沈黙の訪れを恐れた私は歩き出しながら言う。
「じゃあ、これから新しくできたクレープ屋に行ったっていいよね」
「それで、般若の顔で食べるの」(二人で同時にハモる)
二人は子犬のように笑いあいながら、場所も定かではないクレープ屋のほうへ歩き出した。
般若に導かれるように、誰もが今日という日を生きている、ただそれだけ。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。