諦めなければ夢は叶うという幻想
『諦めなければ夢は叶う』
この言葉からは、諦めず頑張ればいつかは成功できるようなニュアンスを感じる。でも実際は、そんなことは起こりえないことを私たちは知っている。
巷で言われる成功の定義を改めて考えたとき、それはまるで椅子取りゲーム。成功するためには、継続や努力というよりも、一層の効率や要領などのロジカルな部分での競争であり、個人の資質というよりも環境などに依るところが大きい。
成功した結果、そのロジックやノウハウがシェアされるのですから、これは当然の流れ。ごく少数の限定的な成功のロジックは、多数の失敗のわずかな割合でしかない。
しかしながら、人間は成功体験からこそ学ぼうとする。その成功談は、ごく限定的な成功例に過ぎず、私たちのような普通の人には、あまり参考にならなかったりする。
ただ失敗談はどうだろう?
きっと膨大な数に上るその中に、自分の参考になる体験も多いはずだ。
この世は所詮資本主義、どの業種も椅子取りゲームだ。
あきらめる勇気が新しい自分を連れてくる
どうして好きなことをやめないといけないの?
ただなんとなく夢を追い続けていたっていいじゃない?
それはこの世が無常であり、変わり続ける定めだから。
夜キャッチボールをしようにもボールが見えないように。
自分の家族に会うために、大阪から東京まで歩いて行かないだろう。
一刻も早く会うために、新幹線に乗るから。
生きる上での知恵とは、何も知らずに砂漠に行って、その場の機転で何とかなるはずだと、無根拠に砂漠で飲み水も持たず歩くことではない。知恵ある者は、砂漠がまずどのような場所か調べたり、できる限りの準備をします。
砂漠で生きるための術を創意工夫することが、本来の知恵ではないだろうか。であれば、人生においても同様のことが言える。
自分が思い立ったことを、焦らず丁寧に思案し、準備した上で、着実に一歩を積み重ね、やがて満願成就させる。心底楽しみながら、人生を謳歌する。
夢を追う過程は素晴らしく尊く美しい、しかし時間と予算には限りがあるプロの世界では、その理想を掲げ続けることは不可能だ。
自分の肉体と精神とに、たくさんの時間をかけて向き合ったであろう世界トップアスリートたちでさえ、自分を完全には理解できないのだ。薄ぼんやりとその日を生きている私たちに、何がわかるというのだろう。
『50にして天命を知る』というのは、誰にでも言えることなのかもしれない。体験することが人生の意義であるならば。
すべては同じではいられない、無常な世界で、はじめは勢い良く燃えた火種もやがて、燃え尽き残るのは消し炭。なればこそ、ステップアップのタイミングでいい波に乗ろう。
諦める勇気、愛するため、守るため。
無明のうちに老い過去の栄光にすがる執着となる前に。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。