すべては自分だけの人生体験のため
人生における有意義とは、体験することにより、体得、体現すること。そのうえで、意識の拡張とともに認識や認知力も広がり、自己はさらに拡張していき、成長し変わり続けてゆく。
無理に何かになろうと右往左往しなくても、自分の意識が拡張していけばどこへでも行ける、引き寄せられる。
自分の意識の拡張は、体験によってなされる過程において、体験のすべてが糧となる。ですから、新しい体験のためにも、よりたくさんの人との関係性が重要となる。
誰もやったことがない体験を提供できる存在になることや、互いの体験の共有の尊さの意味がここにある。いいことだけじゃなく、悪いことも含めて、それら全部がやがて自分の宝物。
何事もしようとすることが大事。
でも結果を求めなくていい、その時点ではまだ意味はないから。
後付けで辻褄合わせが起こるから。
全部後からわかるってこと。
だからまずは、自分を信じて行動しないといけない。
自分が生きていることに意味を見いだせない、それはわかる。
お互いが違うことを尊重しあう、それが目指す世界。
「でも知られてなかったら意味なくない?」
「誰にも見られないのに?」
「マネタイズとか、そういうのは嫌」
「見てもらう努力とか無意味じゃない?」
「どうせ埋もれるだけだし、意味なくない?」
確かにそう。
でもそれって、全部思い込み。
だって、誰もがはじめは誰にも知られてないし、見られない。
ただ、いま自分がそうしたいと思ったのも事実。
その思いを厭らしいと思わなくていい。
自分がそう思ったのは、誰かがそう求めたから。
ゆえに、未完成でいい、完成度も無関係。
あなたが、そうしたいと思ったかどうかだけが真実。
自分を表現したいという、人間として至極当たり前の欲求。
なにも芸術家になろうとする必要はない。
芸術活動とは、自分を表現するための活動。
人が生きること自体がすでに、人生という芸術活動。
誰もが特別な存在で、すでに自分を生きている。
身の回りで何気なく咲く花がそうであるように。
夜空の月や、打ち上げ花火をみて、誰もが違う反応をするように。
生きていること自体がそうであるということを思い出すこと。
あるいみすでに自分が芸術家であることを認識すること。
今あなたが、何を信じようと自由だが、最後に信じられるのは自分だけだと気づくだけである。
自分に生まれた以上、感じる感覚は変えられず、感情も変えられない。
しかし、考え方はいくらでも変えることができる。
ある日、それまでわからなかった数式がわかるみたいに。
考え方は、いろいろ試せる公式のようなもの。
変えなきゃいけないんじゃなくて、そもそもこの世の中は無常。
放っておいても変わり続ける、だから自分の考えに意固地になるのなんて勿体ない。
これから自分だけの体験が待っているって、そう考えられればもう安心。
考えが変われば行動や習慣が変わり、環境が変わり、人生が変わる。
でも、自分の感覚はそのまま。
改めてこう言われれば簡単なこと、そういうものでしょ?
もう今日からは考えにこだわるのをやめましょう。
その時間をもっと別のことに使いましょう。
自分だけの人生体験のために。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。