おい磯野、野球やろうぜ(1984年、中村公園にて
まずはじめに、僕は磯野ではなく、那須野だ。
…さて、あれはたしか、僕が小学校三年生になる頃。
ちょうど今の時期でした。
春休み、新学期前の中村公園。
その日も幼馴染たちと公園に集まり、すっかり恒例となった野球をすることに。(当時は今のように公園で球技は禁止されていなかった)
各々がテキパキ試合の準備を進めていたところ、当然中学生三人組がやってきてこう言うのです。
「"俺ら"の公園で、なにやってんだ?」
たまたま外野のほうのラインを引いていて、一番気の優しかったコウイチロウ君が、そう言い寄られていたのでした。すぐに事態に気づいた僕たちは、準備の手を止めコウイチロウ君の元へと走っていきました。
こちらは7人、とはいえ全員が小学生低学年、多勢である僕たちに臆することなく、中学生トリオはこう言いました。
「で? ”俺ら”の公園で、なにやってんだ?」
…僕はこう思いました『ろくでなしブルースだ(本当にこういうことがあるんだと)』そう思いつつ、幼馴染たちの顔つきを伺うに、懸命にマウントを取ろうとしてくるパイセンたちには申し訳ないのですが、僕たちの中の誰一人怖がっている子はいないようでした。
なぜって、すでに中学生と同じ体格の大和君(10歳)が、ビビることなくパイセンたちを前に冷静に話していたからでしょう、どこか他人事のように、それこそ映画か何かの世界の中にいるような心持だったからです。
紅一点のカオリちゃん(9歳)などは、さらに沢山のお兄さんたちと遊べるのかと思い喜びが顔いっぱいに広がっているようでした。
話し合いは時間にして5分程度だったでしょう、ここはお互い納得のいく形で穏便にと、そうした大和君の大人な提案もあり、本来誰のものでもない中村公園をかけて試合をすることになったのでした。
そう決まるにつけ中学生トリオの一人が、「ほなら田中君読んでくるけん!」そう言って、いったん公園の外へと駆け出していきました。
どうやら、助っ人を呼びに行ったようです。
10分ほどで、ひときわ体の大きな田中君が合流、彼はどうやら野球部のピッチャー(補欠)のようでした。補欠とはいえ、そこは中学生、自分たちが経験したことのない速度の球をキャッチボールの段階で披露。もとよりこちらは小学校低学年、彼の投げる速球にはじめはビビりまくっていました。
中学生チームは4人しかいないため、守備の際にキャッチャーはこちらから大和君を貸し出す形になりました。
中学生チームの守備布陣は、ピッチャーと、ファースト、ショート、センターというスカスカの配置でしたが、小学生相手なのでちょうどいいハンデだったでしょう。
はじめは年長者相手に気押されていた僕たちでしたが、大和君が田中君の速球を事も無げにキャッチする姿を見るうち、なんだか何とかなるんじゃないか、という空気が我がチームに漂ったのでした。
チーム中村対チームろくでなし中学生
[チーム:中村]
[1番]カオリちゃん(9歳)【投手】
僕が貸した広島カープ(当時僕は、鉄人衣笠選手のファンだった)のキャップを被り、『野球狂の詩』で覚えたアンダースローで投げる。水泳部。
[2番]ノブ君(8歳)【外野】
カオリちゃんの弟、体格も運動神経にも恵まれていたが、優しくてすぐに緊張する癖がある。のちに水泳部。
[3番]クボ君(8歳)【一塁】
ノブ君の同級生、小柄だが足が速く、気が優しい。のちにサッカー部。
[4番]コウイチロウ君(9歳)【三塁】
公園のすぐ隣に住み、僕の初めての友達、三振かホームランという極端なバッティングセンスの持ち主、落合打法と呼ばれていた。数か月後に転校。
[5番]僕(10歳)【二塁】
那須野、小柄でモヤシっ子、運動神経はいいほうだった、帰宅部。
[6番]大和君(10歳)【捕手】
僕の同級生で幼馴染、人生七回目のような大人びた子、サッカー部。
[7番]白石君(10歳)【遊撃手】
僕の同級生で幼馴染、僕と同じ小柄な体格だが機敏、心優しくお父さんが厳しかった。サッカー部。
[チーム:ろくでなし中学生]
[1番]田中【投手】
野球部ピッチャー(補欠)、他の子からマー君と呼ばれていた。
[2番]名もなき中学生A【一塁】
はじめに公園が自分たちのものだと主張してきた中学生。
[3番]名もなき中学生B【三塁】
Aの舎弟、田中君を呼びに行ったことだけが彼の功績。
[4番]名もなき中学生C【外野・二塁】
居たかどうかも定かではない。
僕たちのサンクチュアリ(中村公園)を守る戦いが始まった!
5回終了の一発勝負。
初回、チームろくでなしの攻撃から。
と…いきなりのデットボール。
チーム中村のエース、カオリちゃんの手元がいきなり狂う。
初球をいきなり太ももにぶつけられ、顔を真っ赤にして怒る田中。
でも当時から美人の片鱗を見せていたカオリちゃんの帽子を脱いで謝罪する姿に何も言えず、赤い顔のまま一塁へ走っていく田中。
次のバッターも四球で塁へ進み、さらに次のバッターのタイムリーヒットによって初回先制を許すも、その後に落ち着きを取り戻したカオリちゃんの好投により追加点を許さず。
その後も毎回ランナーを出すも何とかピンチを乗り切りつつ回は進み、4回(裏)の攻撃で落合打法のコウイチロウ君が公園隣の自宅へ放り込む特大のホームランによって、同点に追いつく。
そしてついに最終回(5回表)、二つの四球と二つの二塁打によって、2点を勝ち越されむかえた裏の攻撃。
カオリちゃんが四球で出塁すると、ノブ君の強烈なファーストライナーも相手の好守によって惜しくもアウト、次のバッタークボ君が、得意の足を生かしシングルヒットで続き、四番バッターのコウイチロウ君に期待がかかるも豪快な三振、そして僕の出番が回ってきた。
スコアは3-1二点ビハインドでむかえた最終5回裏、ツーアウト一二塁のラストチャンス。
その時の僕の心境は、なんとか二塁打を放ち、得点圏のカオリちゃんを返し、まず一点を返すことを強く意識してバッターボックスへ立ちました。
その日の僕の成績は3打数二安打(シングルヒット二本)とまずまず。
今回は当てていくバッティングから長打を狙うための強振へと頭を切り替え、タイミングのあってきた中学生ピッチャーの初球を思い切り振りぬくも空振り。
普段慣れていない自分のスイングの速さに翻弄され、ボールの相当手前で空ぶってしまったのでした。
昂る自分に戸惑うバッターボックス僕、すぐ後ろに腰を下ろすキャッチャーの大和君が声をかけてくれました。
「落ち着け、タイミングを計って当てていけ」
その一声に、すーっと落ち着きを取り戻した僕。
二球目をあえてスルーし、よくボールを見つつそのタイミングを体に刻み込みました。
カウントワン&ワン。
ストラークゾーンに真っ直ぐ伸びてくるボールに狙いを定め、いつも通りのコンパクトな力みのないスイングでバットを当てにいくその刹那。
僕は、人生はじめての稀有な体験をします。
ボールをよく見て引き付け、ただバットを当てようと開始したスイング、でもなかなか来ないボール。
チェンジアップを投げられたかのような不思議な間の最中で、僕の体は無様なほど前のめりになり、とうとう腰元で保てなくなったバットをボールのほうに伸ばし始めたのでした。
偉大な四番打者の言葉が脳裏に響く、今じゃない、今じゃないでしょと。
『嗚呼、凡退だ』そう思った刹那、バットには微かな手応え。
レフト方向に引っ張ったような、無様なゴロ、あるいはファールだろうと思った矢先。
「那須野、走れ」
落ち着き払ったキャッチャー大和君の声が聞こえたのでした。
ボールの行き先を見失っていた僕は、ひょっとしたらファールボールにならず、三塁方向に転がっているのかもと思い、走り出しました。
一塁を回り二塁へと向かう最中、ようやく周りの状況が見えるようになり、自分のチームメイトがお互いに抱き合って喜んでいる姿や、相手のチームがそもそも守備をせず、キャッチャーの大和君のもとへと四人で身を寄せて何やら抗議しているようなのでした。
ボールは何処にいき、なぜ相手のチームは守備をしていないのか。
僕はわからぬままに三塁を回る頃、チームメイトがホームベースで待っている姿を見つけると、ようやく事態を理解したのでした。
どうやら僕の放った一打は、早く振りすぎた分、かえって思い切り引っ張った形でボールの芯をとらえ、三塁線を力強くライナーで飛び、そのまま公園の外まで突き抜ける逆転サヨナラ場外ホームランとなったようなのです。
相手が抗議しているのは、ファールであると主張してのことでした。
でもその主張も場外へと消えたボールのように虚しく、勝利の興奮の渦中にある僕たちによって聞き入れられることはなかったのでした。
ホームベースをしっかりと踏み、すぐ傍の仲間たちのもとへと駆けつける僕、みんなに揉みくちゃにされるうち、ようやく実感と共に笑みと涙が忙しく自分の中で渋滞を起こす中、いつの間にか夕暮れ時となっていた空へ向かって大きな声で勝鬨をあげたのでした。
「やったーーーーぁぁぁぁぁぁ!!!!」
試合後、レフトスタンド(新田さんのお家)の奥の方まで入りこんでしまったボールのことを謝罪するため、みんなでお宅に伺って事情を説明し、ボールを新田さんと共に探したのですが、結局は見つかりませんでした。
こうして僕たちの、というよりも、誰のものでもない中村公園は守られたのでした。
その後、中学生が公園に現れることはなく、たまに別のグラウンドで一緒にサッカーをしたりして遊ぶ関係性になったりしました。
…そんな、この時期になると懐かしく思い出す、実際に僕が幼少期に体験した、ある春の日の話でした。
執筆を終えて
さて、誰にでもであろう、何の変哲もない幼き体験談。
思い出と呼ぶにはあまりにも朧気で、昨日どういったわけか夢に思い出したこともあり(誕生日だったから?)、懐かしき記憶の欠片として記した次第です。
きっと誰もが、何かのタイミングで過集中状態になったとき、不思議な体験をしたことがあると思います。
特に夢中で何かをしているときとか。そういうときこそ、どういうわけか自分だけの体験をしていると実感できる気がするのです。
そもそもおもちゃのボールとバット、ホームランなんて打てる筈がない。
でもそれがこの現実ではなぜか起こる。
…それはきっとこれからも。
私の大切で彼方の記憶を最後まで読んでくださりありがとうございました。
※『ろくでなしBLUES』(森田まさのり著作)は、当時まだ連載されておりません。