別に答えは求めていないから
私はこれまでの人生において、このように事あるごとに様々な思いを巡らせ生きてきました。しかしながらそのようにいろいろ考えることは不毛とも言えるのです。
この世界では体験がすべてであり、また隣のパラレル世界のバージョンではすべてがひっくり返るからです。
つまりは私が存在していると思い込んでいるだけの世界とはまるで逆の仕組みの世界が隣に同時に存在しているということ。
そしてそのまた隣にはまた別の世界が存在し、私たちはその無限の平行世界を光速で移動しながらすべてが同時に起こっている世界で生きています。
結局この世界では、ありとあらゆる可能性が既に存在しているため、自らが今この瞬間所属している世界の理を求めてもある意味では無意味なのです。
例え自ずから真理を獲得したとしても、それは無限の答えの中の一つに過ぎないからです。ではなぜ私は答えを求め続けるのか、それはきっと心の安寧のため、己の心が穏やかのときにのみ、その瞬間自分が本当にやりたいことに気付けるからです。
仮にこの世界が、本当の自分(魂)が見ている夢のような世界であれ、この世界(仮想現実)の外側の存在がみているシミュレーションだとしても。
私にはもはやそんなことはどうでもよいのです。
なぜなら私が今ここに存在している。
それだけは確実なことであり、何よりも尊いことだからです。
私は魂の代弁者
私が何故人間の心に興味本位を惹かれるのか、それは私たちの心こそが、この世界そのものだからだという確信があるからだ。
心の仕組みがそのまま世界の成り立ちであり、法則である。
心はどこからやってくるのか、それはきっと魂から。
心こそが愛そのものであり、無限∞である。
とにかく心の世界への興味は尽きない。
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私は魂こそがこの世界そのものだと確信しています。
ですので私が魂の声をこうしてnoteなどで綴る行為は、魂に代わってその声を届けていることに他なりません。
それは私にとっての魂を燃やす行為です。
それは私にとっての魂を振るわせる行為です。
今まさに多くの人々が気付き始めています。
意識こそが世界であると。
魂があり、心があるからこそ、私たちに意識が宿ります。
だから意識さえあればもうそれだけで十分なのです。
息をしている、ただ生きている、まずはそのことに気づくことが真の気づきのスタートラインです。
そのために私はこれまで長い間、この世界の理、つまり自分なりの答えを求め探し続けていたのです。
答えを探す旅路の最中、本当の自分の心にたどり着いたのです。