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肯定も否定もしない生き方

自分が何かをしたいと思うのはどうして?
伝えたいことがあるとか、自分の表現を見てほしいというのは、そもそもどういうこと?

一人じゃ寂しいとか、そんな単純なことではない気がする。それはつまり、きっかけだということ。

何故そうしたいと思ったのかはあまり重要ではなく、どんな些細なことであれ実際に行動した際、どう感じどう思い、自分にとってどのような体験であったかというのがひとまずの終着点。

重要なのは、結果ではなくどんな未来が待ち受けているのかということ。

人が何か行動を起こしたその先では、必ず何かしらの因果が発生する。そうした因果律に至るためのきっかけが、自分がある日急に何かをしたくなる動機だということ。

ゆえに、どんなにくだらないと思うようなことでも、なるべく早くその思い付きをすることが大切です。

『今を変えたい』『もっと良くしたい』そう思うほど願いは遠のいていく。願望とは読んで字のごとく、ただそう望んでいるだけの状態。

どんなに夢や願望を持っていても、実際の行動がなければ何も変わりません。願望を抱くだけでなく、実際に行動を起こし続けることで、予想もつかなかった素晴らしい結果が得られるのです。

そもそも願望自体が無意味なものであるということ。
『こうなればいいのにな』という願望は、『こうなりそう』という予測の範疇、あるいは『こうじゃないと嫌だ』というわがまま。

ロボットみたいに、ただ働いて食べて寝ての繰り返しを嫌だと感じる。人生は何一つ思い通りにならない。それなのに私たちは、余計な願望を持つことで小さな理想の人生を歩むことに拘っているのだ。

オンリーワンはむつかしい、だって唯一無二になるってことは、何かになろうとするってことだから。つまり何かになろうとした時点で、「そうしなきゃいけない」って思い込みが発生する。

つまるところオンリーワンとは、ありのままの自分になるってこと。幼少期は誰もがありのままだったわけだから、『○○になる』というよりも、『立ち返る』、戻るってこと。

素の自分に戻るのならば、無理に何かになろうとしたり、何かをしようとしなくたっていい。すべては自分の心のありかた次第なのだ。

あれこれ考えてしまう自分が嫌

自分がやりたいことではなく、やらなきゃと思っていることをやりましょう。いてもたってもいられないような、やらずにはいられないような衝動に従いましょう。

誰かの優位に立ちたいとか、誰よりも有名になりたいとかじゃない。
誰かの役に立ちたいとか、誰かに感謝されたいとかもない。
ただ当たり前の自分で、薄ぼんやり生きていきたいのだ。

それって贅沢なことなのだろうか、愚かなことなのだろうか。
軽率で軽薄だろうか。自分らしく生きれば、それがみんなのためになると信じることは妄信だろうか。

『こうしてほしい』『こうあってほしい』は、『こうするべき』『こうあるべき』という押し付けであることに気づけない。
『こう思ってほしい』『こう伝えたい』も、これに同じである。

どれもこれも頭で考え、そうあるべきだと勘違い、思い違った結果に起こること。周りの人たちが、なんだか美辞麗句ばかり並べてるなと感じるのは、自分の中にたくさんある思い込みを正当化したいがための心の動き。

では、自分本来のあるべき姿とは?

ただ何も考えず、薄ぼんやりとしている状態、あれやこれやと頭の中で声が響いていない状態。………ただボーっと、薄ボンヤリ生きる姿。

考えてもわからないことは、考えなくてもいい。どうせ時間の無駄だから。そもそも思考というものが、そういう仕組みだから。

それじゃ、なんで思考は存在するの?

………思考は、自分が今できることについて考えるためのもの。

どうして今現在、仲の良い人たちのことを思わず、仲が良くない人のことばかりに気かけるのか。

どうして今現在、幸せを感じることを大切にせず、不幸せと感じることにばかり気を取られるのか。

どうして今現在、自分に投資できるチャンスなのに、老後のために貯めようとするのか。

どうして今現在、楽しむことができるのに、むしろ楽しくないことを率先してやろうとするのか。

何かしなきゃと思うほどに、周りに求めてしまう。何もしなくていいと思えれば、周りに期待しなくなり、その結果ストレスが消え、なんでもやりたいと思えるようになる不思議。

『○○になろうとする』のをやめる。
『○○しなければならない』をやめる。
『○○でなければ嫌だ』をやめる。

何にもならなくていいし、何もしなくていい。それってつまり、今までの自分で良かったんだよってこと。ありのままの本来の自分を思いだすってこと。今現在していないことは、基本的にやらなくていいこと。

ただし、どうしても居ても立ってもいられなくなったとき、それは合図だからすぐやろう。そしてそれは、人生で何度も訪れないこと。

それなのに、人は常に何かをしていないと、何かにならないとと頑張ってしまうのです。

でも頑張らないと周りの役に立てなくない?
周りの人のことを思いやるのは、しょせん自己満足?

周りを思いやったり、役立とうとするのは、自分を思いやった後にすること。それには、脱力し肯定も否定もしない中立の自分に戻らねばならない。

結局すべてはそれからなのです。

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なすの
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。