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成長だとか進化だとか、それって変化
「あなた変わったね」
云われなき誹謗中傷に対して、いちいち生真面目に向き合うのは時間と精神衛生上、無意味。
バズの大きさに比例して、プラスの反応とマイナスの反応が発生し、その事象を見た人々が、あれやこれやとまた別の科学反応を起こすのだ。
人生が自己表現という芸術活動である以上、その活動の大きさに比例し世の中がその反応を返すという、原因と結果の連続で成り立つ。
原因とはまさに、自分の行動のことであり、自分が生きた結果。よって、いちいち周りに反応する意味がないことは明白なのである。
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宿命と運命と自由
この世界の因果律において、人生の選択肢は無限だ。
考え方や行動の如何によってどうとでも変えられる、それが運命。
しかし、実は誰もが宿命を背負って生まれてくる。でもそのことを忘れ、怠惰な毎日を過ごしているのだから、そりゃ日常に虚無感を抱いても仕方のないことでしょう。
だから自分が何者であるかや、使命や宿命を思い出したとき、ようやく本来の人生がスタートするのです。もうすでに自分は自分の人生を生きられていたと気づくことができれば、その後あるべき本来の人生へと誘われる。
あたかも気づくことが目的であったかのように、ごく自然となるようになるのであれば、その時がいつであるかは考えるだけ無駄なのだ。
何故なら、その時とは、その時であって、それ以外の時ではありえないから。因果関係を把握できないのであれば悩むだけ時間の無駄であり、思い考えるほど精神衛生が蝕まれるだけ。
結局は時間が解決する、忘れるに限る、全然関係ないことをして発散する、となる。なんだか矛盾しているようだけれど、ままならないのが人生だから。ゆえに、肩の力を抜いて自分のペースで日々を生きてゆけばいいのだ。
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境遇のせいにして天命をおざなりにする
人生を構成する要素に直接関連している境遇の割合は半分に過ぎない。
残りの半分こそが己の天命である。
だから現状が最悪でも、そんなことにとらわれてはいけない。
一刻も早く自分本来の役割を果たさねばならないのだ。
体が不自由に生まれた、貧しい幼少期、賢くなかった、内気で気持ちが小さい、容姿にコンプレックスがある。しかし、己の天命にたどり着いたとき、それらのすべてが自分にとってむしろ礎であったと悟るだろう。
トラウマをはじめ、これまで自分を形成してきた出来事が新しいステージへと導いてくれる。
ラプラスの悪魔は人の生み出した思考実験。
頭でっかちが言いそうなただの妄想。
この世は無常、ひと時も同じではいられないだけ。
私たちの行動の後にあたかもそうであったかのように、辻褄合わせが起こる世界。行動の前には既に、すべてのパターンが網羅され、行動の後にはあらゆる可能性を秘めた中を生きているのだ。
この世のすべては相対的、かつ瞬時に同時に起こるというだけ。つまり、どんなに才能豊かであれ、富裕層に生まれたとしても、すべては縁によって成されるということ。
人が行う努力や創意工夫が無駄なのではなく、これはただ仕組みの話。したがって、自分がどんな人間で境遇がどうあれ、それは些末なことである。
ただ自分に誠実に生きればいい。
ラプラスの悪魔
「ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つがゆえに、未来を含む宇宙の全運動までも確定的に知りえる」
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