”思いつき”定義集Ⅱ⑫「け」
【慧眼(けいがん)】物事を見抜く優れた眼力のことだが、発揮されるべき対象は何か? 何よりも人が人を見る眼(個人的見解)。上を見て仕事をする人物に慧眼が備わることはない(頑張ってゴマすってください。誰のためかはともかく栄養満点!)。
慧眼は経験と知性によって養われる(天才的な慧眼の持ち主もいるだろうが根拠薄弱)。しかし慧眼ある人物を見抜くにも慧眼が必要。したがって主観と場面・状況によって判断される評価の一つとなる。そんな人と出会うとしても幸か不幸かは自分次第。
【健康】生老病死から逃れられる人はいない。看病・介護の労苦もヤング・ケアラーという新語が流通しているぐらいに深刻化しつつある。ゆえに「死んでも健康でありたい」というジョークも笑えない。
そもそも健康の定義自体が不能。近眼や肩こり、タバコやアルコール、スマホやゲーム中毒も、捉えようによっては頗る不健康。ところがアルコールの摂取やゲームへの没頭によって健康でいられるかもしれない。あまりにも不可思議な存在としての人間かな。
【権利】近代に確立した、生まれながらにして個々人に備わっているはずのもの。哲学的法律学的に多種多様な議論や定義はあるが、これが十全にかなえられたことはないし、この先もない。というのも、権利の行使は利害が絡むと必然的に衝突するもの。衝突が無ければ主張されることもないのが権利だから。
屁理屈はともかく、大切なのは法律で規定された文言の内実である。例えば憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」。定義づけの困難を棚上げにしても、文言に沿った権利が損なわれている人がいるのは確か。かくして権利は存在しつつも時に空虚なたわごとになりかねない。しんどいのは承知の上、気を引き締めて尊重し続けることが権利を擁護する人の務めか。