鈴木もも吉

はじめまして。特段の決意はなく、いわば事始め。初投稿からひと月を経ての自己紹介。IT音…

鈴木もも吉

はじめまして。特段の決意はなく、いわば事始め。初投稿からひと月を経ての自己紹介。IT音痴、SNSほぼ無縁。読んでいる人がいることは承知の助。ありがとうございます。リプライについては勉強中。あくまでも個人的な「日記」みたいなものですが、よろしければお付き合いください。

マガジン

  • 《雑多な雑感――NPOの戯言》

    2024年4月1日。何事かを開始するにはうってつけ。なので、脳内雑談のつもりで記し始めました。まぁ、反省と疑問の記録みたいなもの。常識を逸脱することのない駄文ですが、読む人若干名を募集しています。

  • ”思いつき”定義集Ⅱ

    相変わらずのIT音痴。日進月歩の世界で化石化を自覚していますが「”思いつき”定義集Ⅱ」を始めました。よろしくお願いします。

  • ”思いつき”定義集Ⅰ

    「定義集」「アフォリズム(箴言)集」といったジャンルは文芸の一領域として夙に確立されています。マルクス・アウレリウス、ラ・ロシュフコー、アランなど、優れた古典が読み継がれていることからもそれは伺えます。私もそうした著作に親しんできました。  ただ、もう少し手軽に、つぶやき風に、人口に膾炙し(使い古され)てきた言葉について考えてみるのも大切な試みのように思われます。多少の皮肉を交えつつ頭の体操の気分で。もとより私見ですから「正しさ」を求められるのは困りますが、首肯できる部分があれば何よりです。  できる限り50音順で載せていけるよう努めますが、“思いつき”ゆえその通りいかない場合もあるかもしれません。ご容赦願います。

最近の記事

雑多な雑感――NPOの戯言㊱

《仕事⑩――あらためて仕事とは(1)》  「仕事①」で記したように、職業に貴賤はないというのがわたしの基本的態度(「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」があるとの留保は付くが)。ただ、仕事の内実には異なる価値があるのも確かなように思われる。たぶん、その基準となるべきは他者へ貢献度ではないか。もちろん、その度合いを職種別に計測するのは無理で、例えば、ゴミ収集の仕事は公衆衛生の観点から誰の役にも立っているが、奏でられる音楽で救われる人への寄与とは異質である。観光客を引き寄

    • 雑多な雑感――NPOの戯言㉟

      《仕事⑨――匠の技と「日常」》  前回「プロ」について触れたが、広くイメージとして思い浮かぶのが匠と称される「技術者」のそれではないだろうか。技術者と呼ばれる仕事も広範に及ぶ。わたしの出身大学の一つに、やたらでかい工学部の建物が立ち並んでいた。わが法学部棟の30~40倍ほどか(適当)。そこに所属する知り合いの院生も「技術者になる」と宣言していた。機械・土木・建築など古くからの分野に加えて、エピステミック・コミュニティという言葉が日本でも流通しつつあったので、環境工学など、より

      • 雑多な雑感――NPOの戯言㉞

        《仕事⑧――「プロ」の「良し悪し」》  歴史的に遡ると「プロフェッショナル」と呼ばれてきた職業は聖職者・医師・法律家であると、どこかで読んだ記憶がある。証拠はないが「なるほど」と思った記憶もある。人間の生死に直結しているからだ(世界中で死刑は当たり前に行われていた)。もちろん農業や漁業だって生死に直結している。そうではなく、大半が第一次産業従事者だったころから専門知を駆使して(?)人の生死にかかわってきたという意味である。  聖職者・僧侶は臨終に欠かせない役割を遺族の安寧とい

        • 雑多な雑感――NPOの戯言㉝

          《仕事⑦――詩人の「困惑」》  パリでオリンピック、パラリンピックがあり、血迷ったのか(夜はほとんど血迷っているが)ボードレールのエッセイ『パリの憂鬱』(新潮文庫)を再読(わたしの意思で処分できず残されていた書物の一つ。訳者の三好達治も優れた詩人の一人)。その果て、すこぶる残念なことに「感じられない」というのが率直な感想。折り目をつけていた箇所はいわば詩人が激情を吐露する文句。何度読んでも、想像と理解を越えての感動がない。かつてはそうした詩人の「苦悩」に憧憬を抱いていただけな

        雑多な雑感――NPOの戯言㊱

        マガジン

        • 《雑多な雑感――NPOの戯言》
          35本
        • ”思いつき”定義集Ⅱ
          38本
        • ”思いつき”定義集Ⅰ
          45本

        記事

          雑多な雑感――NPOの戯言㉜

          《仕事⑥――芸術家の「懊悩」》  イメージとしては前回の公務員の対極にある。もちろん、のん兵衛の悪癖で根拠などない。公務に尽力しつつ芸能芸術に長けた人もいるし、芸術家として公務に力量を発揮する人もいる(だろう)。  そもそも、祭事などに関わる多くの人たちも街の芸術家と言えそうだ。民藝という伝統もある。民藝は柳宗悦を嚆矢とするが、多くの「芸術家」あっての文化的果実。少なくとも芸術の担い手は一部著名なアーティストだけではない。とまれ――  わたしには芸術的才能が欠けている、ある

          雑多な雑感――NPOの戯言㉜

          雑多な雑感――NPOの戯言㉛

          《仕事⑤――公務員という「不条理」》  仕事には、大胆に単純化すれば「出来・不出来」「有能・無能」といった評価が付き纏う。それによってポストが与えられる。わたしも、事実として「不出来・無能」と言われてきた口だが、考えてみればこれほど理不尽な仕打ちもない。というのも、評価する人によって自分の職場での「値打ち」が変わるのだから。もちろんその柵(しがらみ)から逃れることは社会的存在である限りほぼできないのも事実(程度の差は大いにあれど)。そして評価する人は大抵の場合、目上の人となる

          雑多な雑感――NPOの戯言㉛

          雑多な雑感――NPOの戯言㉚

          《仕事④――介護士・看護師の「憂鬱」》  引用符付きの「憂鬱」はわたしの想像上の形容に過ぎない。もとより仕事人の心情は分からない。言及する理由の一つは、広く知られているように「仕事量と所得」の相関――その歪さにある。NPO(のん兵衛・ポンコツ・オッサン)が大切にしたい仕事から外すことはできない。  コロナ禍で看護師を含む医療関係者が直接間接に罵倒され忌避されたのは記憶に新しいところ。個人的には、看護師らをバイ菌扱いして嫌がらせをした人間に罪を贖って欲しいとさえ思っている(例;

          雑多な雑感――NPOの戯言㉚

          雑多な雑感――NPOの戯言㉙

          《仕事③――ゴミ収集の「危難」》  一般論として、農業の大部分と同じように虚栄心は何の役にも立たない。ただ、淡々と仕事に忠実であること。そこに教えられることもある。  この仕事で求められる第一は合理性、つまり速度と要領、ついでに腕力。街中のゴミ収集車の作業を見ていると、まずそこに徹している。とろいヤツはついていけない(言わずもがなポンコツには無理)。腕力はあった方がより多くのゴミを処理できる。  ただ、わたしが、かつていた山間部ではさほどでもない。ゴミ収集は通常、市区町村の業

          雑多な雑感――NPOの戯言㉙

          雑多な雑感――NPOの戯言㉘

          《仕事②――農業という「過酷」》  目下わたしは家庭教師などで糊口を凌いでいる。赤字なので正確には焼け石に水を散布中と言ったところか――それでも枯れかけの草木の気持ちがわかろうというもの。  さて、田舎暮らしを始めたころ、かつての教え子に求職中である旨の話をしたら「農業はどうですか。自然のなかでいいじゃないですか」と進言されたことがある。都市部に生まれ育った彼には分っていないのだろう。農業における身体の使い方のすさまじさに。というか、わたしがすでにポンコツであることを。  N

          雑多な雑感――NPOの戯言㉘

          雑多な雑感――NPOの戯言㉗

          《仕事①――職業に貴賤はあるか?(2)》 ◆「前口上」のつづき (2)二つ目は殺人に加担する(かもしれない)職業の存在。具体的には軍需産業従事者、職業軍人、殺戮を命令する政治家たち。現に殺戮は行われていて、そこに敬意を表するわけにはいかない。軍事力が世界で影響力を持つことは否定し得ないし、戦闘に馳せ参じる人たちにも大儀はあるかもしれない。加えて、思想的背景もあれば生活上の事情もある。だが、それを是とするか否かは別問題。  とにもかくにも「ない方がいい」というのが留保の理由。正

          雑多な雑感――NPOの戯言㉗

          雑多な雑感――NPOの戯言㉖

          《仕事①――職業に貴賤はあるか?(1)》  掲題の自問に対し、わたしは原則「貴賤はない」と考えている。ただ、そこに留保すべき点なきにしもあらず。 (1)一つ目は「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」という概念を広めた人類学者D・グレーバーのことが念頭にあるから。酒井隆史らの訳語も妥当。グレーバーの主張をすべて鵜呑みにするわけではないが、彼の早逝は残念至極(早逝と言えば、昨今の事態――パレスチナの苦境に鑑みてエドワード・サイードが想起される)。  事実、不遜な言い方だが

          雑多な雑感――NPOの戯言㉖

          雑多な雑感――NPOの戯言㉕

          《読書と速度》  世知に疎いのは自覚している。世知に長けたいとも思わないが、たまたま手に取った五木寛之のエッセイで「読み方論争」があったのを知った。時間をかけてじっくり読むか、より多くを速く読むか、というのが争点だったらしい。浅田次郎が自身の日課を紹介したエッセイで一日一冊読むと述べていたのを思い出した。彼曰く「遅読」だそうだ(表現は忘れたが)。わたしの場合もっと遅い。平均すると二三日に一冊程度。  酒と同じで文章も味わうべきだ、とわたしは漠然と考えていた。五木の紹介ではそう

          雑多な雑感――NPOの戯言㉕

          雑多な雑感――NPOの戯言㉔

          《「失敗」と「成功」のあいだ》  「子どもはバカである」というのは一定の真理を突いている。「バカ」といっても、ここでは感情が理性を凌いでいるということ。なので世間の混濁にまみれてきた(ゆえの)「おとな」にも「バカ」は数多いる。わたし自身は酔っぱらっても「理性の塊である」とうそぶいてきたが、わたしと面識ある人は誰も信用しないかもしれない――そう思い至り、ひょっとして自分は「バカ」の見本かもしれない、ということに最近気づいた。きわめて妥当な推論である。  ついつい過去の言動を顧み

          雑多な雑感――NPOの戯言㉔

          雑多な雑感――NPOの戯言㉓

          《「真面目」と「不真面目」のあいだ》  繊細で生真面目な人ほど、うつ病に罹りやすいと聞いたことがある。瞬時に、ひょっとして自分はうつ病ではないか、と不真面目にも考えてしまった。ゆえに酒量が減らないのではないか。わたしは、傍目にはともかく「真面目」を名札につけて控えめに歩く人物である。そんなわたしを「不真面目なヤツ」と罵る声もかすかに聞こえる気がしないでもないが。  それでも「とことん不真面目」な人間をうらやましいと感じることもある。わたしにとってそれは、無神経、鈍感、面の皮の

          雑多な雑感――NPOの戯言㉓

          雑多な雑感――NPOの戯言㉒

          《「田舎暮らし」の悲喜こもごも⑥》  前回述べた引越しの続き。築20数年の平屋戸建へ。やけに傾いた隙間だらけの旧あばら家に比べれば新築同様(実際は歪んでいるが「見て見ぬふり」も生活の知恵)。引越しの際に起こる不平不満――鍵の交換で3万3000円とか、害虫駆除で2万――なんでやねん、さっそくゴキブリ出たやんけ! ――などの顛末はどこにでもありそうな話。  なのでそのあたりはすっ飛ばすが、ともあれ街中(田舎のなかの)に越してきた。梅雨どきを跨いだので効率の悪い運搬作業で時間はかか

          雑多な雑感――NPOの戯言㉒

          雑多な雑感――NPOの戯言㉑

          《「田舎暮らし」の悲喜こもごも⑤》  老母を抱えてこの山中にいつまでも、というのは現実的ではない。白内障の手術で街中の眼科通いが続いたが「遠いなぁ」というのが率直なところ。しかも早くて3時間待ち。広い院内は老人の集会所、しかも総会規模。眼科なので当然だが若者はここにもいない。買い物や通院を考えると頭が痛い。  カラスとサルにバカにされ続け(ているとしか思えない)、害虫との闘争にも嫌気がさしてきた。取り分けてカラスの態度は日ごとにデカくなり車上を闊歩している。巣作りに最良の場所

          雑多な雑感――NPOの戯言㉑