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雑多な雑感――NPOの戯言㉜

《仕事⑥――芸術家の「懊悩」》
 イメージとしては前回の公務員の対極にある。もちろん、のん兵衛の悪癖で根拠などない。公務に尽力しつつ芸能芸術に長けた人もいるし、芸術家として公務に力量を発揮する人もいる(だろう)。
 そもそも、祭事などに関わる多くの人たちも街の芸術家と言えそうだ。民藝という伝統もある。民藝は柳宗悦を嚆矢とするが、多くの「芸術家」あっての文化的果実。少なくとも芸術の担い手は一部著名なアーティストだけではない。とまれ――

 わたしには芸術的才能が欠けている、あるいは皆無とさえ思われる。例えば音楽や絵画。BGMは主にジャズとクラシック。心地よさを楽しんでいるが何ができるわけでもないし音楽に関する知識もない。ただ聞くだけ(音痴ではない自信はあるが)。俗説かどうか知らないが、右利きの音楽家でも左手を駆使するので右脳が発達しているらしい。わたしの場合、右脳が機能していない節もある。グラスを持つ場合を除いて左手が思うように機能しない(例えば爪切りなど。酔っているからではなく右手との比較です)。また絵画の能力には天賦の才能を要すると本気で感じている。わたしは遠近法すらまったく掴めないのである。
 芸術家という話だが、教員を辞してからの近年、小説やアニメ、映画のなかで音楽や絵画に纏わる作品に触れることもあり楽しんできた。感想は脇におくが、小説なら中山七里の岬洋介シリーズ、大島真寿美『ピエタ』、安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』、逸木裕『風を彩る怪物』、辻堂ゆめ『僕と彼女の左手』、原田マハの絵画をモチーフにした作品――とくに短編集の『ジヴェルニーの食卓』と長編の『たゆたえども沈まず』などなど(芸術それ自体がモチーフとも限らないが)。アニメや映画も多岐にわたるが、SNSで膨大と思われる紹介があるようなので割愛。
 とにもかくにも、通俗的な芸術家イメージには「懊悩」こそが似合う。似合うからといって事実とは限らない。ショパンやベートーヴェンには相応しいに違いが、モーツァルトはどうなのだろう。酔っ払い素人の雑感なので、この程度。
◆注:個人的に嫌悪感さえ覚えたものの、なぜか映画『アマデウス』が印象に残っている――天才と凡才の違いを知ることになっていたのかも。
◆注:絵画では、谷内六郎の「朴訥さ」、生き方を含めてのいわさきちひろを推したい。ちひろのドキュメンタリー映画も参照。


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