雑多な雑感――NPOの戯言㉞
《仕事⑧――「プロ」の「良し悪し」》
歴史的に遡ると「プロフェッショナル」と呼ばれてきた職業は聖職者・医師・法律家であると、どこかで読んだ記憶がある。証拠はないが「なるほど」と思った記憶もある。人間の生死に直結しているからだ(世界中で死刑は当たり前に行われていた)。もちろん農業や漁業だって生死に直結している。そうではなく、大半が第一次産業従事者だったころから専門知を駆使して(?)人の生死にかかわってきたという意味である。
聖職者・僧侶は臨終に欠かせない役割を遺族の安寧という形で担う――業務上嘘八百を吐く人もいるが。医師は人の寿命を左右し、法律家は人を救うこともあるが貶めることもある。いずれにしても、専門知を武器に頼られる存在ではあり続けてきた。
かくして似非聖職者もいれば藪医者もいる。法律家にも巨悪に与する人もいる。そもそも検察官と弁護士の基本的構図は対決であり裁判官にも情理に幅がある(ゆえに冤罪はなくならない)。使命感と誠意を兼ね備えた人物もいるが、他方でカネと地位に拘泥する輩もいる。知識や力量の差も否めない。
では、どうすれば素人に見分けがつくのか――答えはない。じつに難しい。「口コミ」参照という手もあるが、やはり勉強と経験。必要な基礎知識は勉強で得られる。「合わない」と感じたら即座にセカンド・オピニオン。檀家の場合やむを得ないこともあるが距離を取ることはできる。医師や弁護士なら選べる。参考にはならないかもしれないが、わたしの場合、ビジネスとして相手を見る人と思えばすぐに代える。自動車保険と同じ感覚でいい。
最終的には、頼るべき人の知識の度合いと誠意とのバランス。わたしの基準は、少なくとも泰然と事に当たることができるのか、「弱者」に与することができるのか――曖昧だが、そうした視点で「プロ」かどうかを見極めるための努力はする。「面倒くさいヤツ」かもしれないが、他者に頼りつつ自身を守る術の一つではある。
◆注:今日「プロフェッショナル」には広範な含意があることは言うまでもない。わたしは自動車に乗るが自動車の仕組みに詳しくないのでその道のプロに、テレビが映らないとなればアンテナのプロに頼る。それにしても力量を見極めることは難しい。専門領域への分化には良し悪しもあるだろうが、分業もまた近代の特性。いたしかたない。最終的には「誠意」がものをいうのかも。ただし口上のプロ――詐欺師には要注意!