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雑多な雑感――NPOの戯言㉘

《仕事②――農業という「過酷」》
 目下わたしは家庭教師などで糊口を凌いでいる。赤字なので正確には焼け石に水を散布中と言ったところか――それでも枯れかけの草木の気持ちがわかろうというもの。
 さて、田舎暮らしを始めたころ、かつての教え子に求職中である旨の話をしたら「農業はどうですか。自然のなかでいいじゃないですか」と進言されたことがある。都市部に生まれ育った彼には分っていないのだろう。農業における身体の使い方のすさまじさに。というか、わたしがすでにポンコツであることを。
 NPO(のん兵衛・ポンコツ・おっさん)が稼ぐために農業に従事するのは大変――とういうか危険でさえある。ポンコツの初心者として挑む「本気の農業」は、そもそも「自然に触れる」とか「土と戯れる」などのキャッチフレーズが通用する世界ではない(もちろん小さな菜園で野菜果物を育てるというのもアリだし楽しいかもしれない)。わたしは、どれだけ大変な作業が求められるかを「知っ」ていたので、鼻からできないと考えていた職業の一つであった。というのも、祖父母が農業でかろうじて喰っていたから。
 まず、身体つきからして違う。身体的特性には遺伝的要素が大きいものの、長年の経験で培われた身体動作には年季というものが刻み込まれている。とりわけ手の頑強さは半端ない。タバコの火を手で消していた。そして柔軟性と持久力。老齢に達すると腰は曲がるが――。
 つぎに、知識と知恵と精神力。農業には多くの知識と機転を利かせられる知恵が不可欠(たぶん)。草花の名称から植物相互の相性を知悉し、天候に左右されるがゆえの対処に通じ、なおかつ不作に耐えうる精神力も求められる。ときに身勝手とも思える風雨、とくに台風の襲来、他方での渇水。真夏の作業は半端ない。昨今、熱中症で斃れる人が多いのも周知のこと。
 そして、害虫などとの闘いに平気の平左でいられること。掌でやっつけるのである。マムシやムカデに出会っても平然と対処する。わたしのようにゴキブリや蜂に慄く小心者では務まらない。かといってガッツや気合いで克服できるものでもない。それもまた経験なのである(たぶん)。加えて害虫との戦いは作物を死守するため広範囲に及ぶ。
 自然との共生であり闘争、人間の歴史そのもの、挑まずしてどうする――頭では理解できる。しかしそんなところにNPOが臨むのは、向こう見ずで無鉄砲(わたしは「坊ちゃん」であったことはない)、傲岸不遜、あるいは自殺行為。不撓不屈の精神の枯渇したわたしにとって、農業は勉強にはなるが赤字を埋めるには程遠い仕事、挑むには先の短い人生なのである。


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