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雑多な雑感――NPOの戯言㊶

《仕事⑮――パッとしなかったけど「総括」》
 小テーマ「仕事」で言及できた対象はごく微々たるもの。最初はもっと尽きない話題を提供できると思っていたが、さもあらず。結局のところ取り上げたのは、わたしには到底できない仕事のうち、それらに従事する/挑戦する人たちへの敬意と嫉妬のない交ぜを反映した職業だったのかも。
 で、何か「総括」めいたことを言えるのか。かなり大雑把だが「誠意と不実」「出来ると出来ない」のマトリクスに縮約できる(類似のヴァリアントもあるだろうけれど極度に単純化すると)。
 ①「誠意があって出来る」②「誠意はあるが出来ない」③「不実だが出来る」④「不実で出来ない」。もちろんこの四象限の全域にグラデーションがある。①は別にして、個人的には②にも敬意を表しつつ応援したい気持ちが湧きおこる。③の職業的生き方(「職人」)にも魅力を感じる場合がある。
 いずれにしても、わたしの経験上の結論は「すべての職業において①~④は実在する」というもの。広く「偉い」と(一部誤解)されている職業から「大したこともない」と言われかねない職業まで。証明はできないが反論もできないだろう。「職業に貴賤はない」と主張する理由である。
 また、どんな職業にあっても経験がものを言う。ゆえに、陳腐な表現だが「誠実さ」は仕事の一丁目一番地(原点)。それが経験によって仕事の質を高めていくことは間違いない。強調しておきたいのは、そうした人たちが活躍できる社会システムはいまだに遠いところにあるということ。
◆注:パワハラなどで労災認定を受けている人が増えつつあるのが日本の現状。権力者――(一部の)上司や(一部の)消費者などの不実こそが仕事の善し悪しを決している面もある。それが「人材」(好きな言葉ではないが)を蝕んでいるのは世界共通。

 「誠実さ」には他者の快さを導く可能性があるが、逆にあざとい仕事ぶりにはムカつく(「あざとい」とは「不実」の別名)。大半の場合で他者を不快にさせる仕事ぶりとなるだろうから。抽象的で漠たる表現ながら「仕事」のありようの勘どころを突いている気がするのだが。
 最後に、何をもってしても、”儲けだけ”に目がくらむ仕事人よりも、毅然として仕事に没入できる人への憧憬はやむことはない。


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