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雑多な雑感――NPOの戯言㉖

《仕事①――職業に貴賤はあるか?(1)》
 掲題の自問に対し、わたしは原則「貴賤はない」と考えている。ただ、そこに留保すべき点なきにしもあらず。
(1)一つ目は「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」という概念を広めた人類学者D・グレーバーのことが念頭にあるから。酒井隆史らの訳語も妥当。グレーバーの主張をすべて鵜呑みにするわけではないが、彼の早逝は残念至極(早逝と言えば、昨今の事態――パレスチナの苦境に鑑みてエドワード・サイードが想起される)。
 事実、不遜な言い方だが「この職場にはいない方がいいかもしれない人」は存在する。わたしの言葉で言えば、ゴマすり野郎、腰巾着、悪い意味での忖度に長じた人、人の足元を見るヤツ、そうした人材を求める「偉いさん」たち。それでいい気になっている人たちがいるのは確実だが、少なくともわたしには不快極まりない。もちろん職業それ自体ではないが、上しか見ない人の仕事はつまらない気がするし、なくても困らない仕事ではないかと思える。

 そんな風に思うわたしの経験的背景もある。周囲に「威張る人」が多かったこと。ここで「威張る」を定義づけるのは難しい。というのも、「威張る人」を嫌悪する「威張る人」もいたから(この辺りは察してほしいところです)。むろん「威張る人」すべてがブルシット・ジョブに従事していたわけではない。ただ、「威張る人」と「生産性」と「所得」の関数を冷静に考慮するとき、不釣り合いな気がしている。もとより理路ある正論ではないし、「人生そんなもん」と諭す「偉い人たち」がいることも承知している。
 わたしは大学という頗る狭い世界で長らく暮らしてきた。大学の人には権威主義的人物が結構多い(学生の大半は教員を「偉い」などとは思っていないのに)。例えば――「君たちは○✕のことなど知らないだろう」と授業で学生をバカにする教員(「バカにされた」と言う学生から聞いた話。京大出身を自慢していたらしい)。あるいは「東大出身者と地方大学出身者が同レベルの論文なら東大出身者に軍配をあげる」(直接言われた話)。わたしなら逆の軍配をあげる。言い分は分かるだろう。他にも耳障りな学歴偏重主義と権威主義が合体した戯言、そして自慢話は枚挙に暇なし。そうした人たちにも数値化できない貢献はあったのかもしれないが、この先に述べていこうと思うさまざまな職業にはかなわないと考えている。(長い「前口上」はつづく)

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