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やれるだけのことを、やる


 どういうとき、心に心配が生じるか。主に二つの場合があります。
 一つは、先の予測が立たないとき。どうなるかわからないために、目の前にあるやるべきことに手がつかないくらい、心配してしまうのです。いうなれば「心配するために心配している」状態です。
<省略>
 もう一つは、さぼったり、準備が十分でなかったりしたとき。こうなったら、物事は心配したような方向に転がっていきます。

枡野俊明「小さな悟り」p197 三笠書房

心配になること

予測が立たないことってあったかなー
・先生に「職員室に来るよう」言われ、(え?何?やべぇ)ってとき
・先輩に体育館の裏に呼び出されたとき

いや、これはさぼったり準備が十分でなかった時のやつですね( *´艸`)
・台風が近づいて直撃しそうなとき
・竜巻が近所で発生したとき

自然の力には逆らえないことが多いですからね
あとは何があるだろう
・合格発表を待っているとき
・手術がどうなるか当日終わるまで
・警察から連絡がきたとき
・電車が人身事故で止まっているとき

そんなにないかなーと思って書き始めたら次々に浮かんでくる・・
これくらいにしとこう


温かく心を配れるようになりたい

「心配してもしようがないから」と言って心配する人もいる
本当に何も心配しない人もいる
「心配だぁ心配だー」とソワソワして心配しすぎる人もいる
「心配」は「心を配る」ことだから美しいと思う
心がないのもどうかと思うし
心を配りすぎても自分も相手も重くなるだけ
温かみを感じる心を配れるようになりたいかなー
そう思うと「心配」することも悪くない


人事を尽くして天命を待つしかない

「心配」ということではないけど「不安」に思う
そんなことをよく耳にするし、確かに!あるあると思う
「安心、安定せ不」という状態と想像すると「えー嫌だな」と思う
安心できない、安定しない、そんな状態が続くのは辛い

9/9(土)に「しくじり先輩」という企画の質問にあった
「不安です」という言葉
僕もずっと不安だったなー
なんでここまでやれて来たんだろう
周りに沢山助けられて
いろんな経験をさせてもらって
いろんなことを学ばせてもらったなー
しくじりも沢山あったけど
「その時のやれることをやり続けて、今がある」
それだけなんだよね


最後まで読んでくださりありがとうございます。


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