「知ってもらいたい」とき気をつけること
「身近に感じる」工夫をする
多くの人に伝えたいのか?
必要な人に伝えたいのか?
どんな内容を伝えたいのか?
誰に何をどの程度伝えるのかで、さまざまな工夫が必要になると思うのですが、いろんな失敗を経験していつも考えるようになったことがあります。
ネット社会は、まず「情報」を考えてしまう
ネット社会は、何よりも「情報」が勝ることが増えましたね。
内容はともかく「知る」きっかけとなります。
対象が多くの人を目的にした「情報」は、伝えたいことがぼやけがちになるから、興味を持つ表現(言葉や写真、動画など)を目立たせようとします。
いつの間にか、多くの人に見てほしいことが目的に陥りやすい。
正しく伝わらないことで「不満」「トラブル」を増やすキッカケにもなります。
「興味」を持つかどうか
キャッチーな表現で目を留めて、興味があれば更に内容を知りたくなる。
興味が持てるのは、「興味本位」か「必要に感じる」からのどちらか。
「必要に感じる」も「実際を知りたい」のであれば、理解しようとする。「資格を取るため」など何かを得るための「知識」としては、興味も必要度も弱い。
学校の授業と担当した時、資格取得のためには必要だから、テキストや他人事として「知識」のためにという学生と、「実際を知りたい」と思っている学生の態度や熱量、理解しようとする姿勢は、当然違ってくる。
「経験」「実感」が身近に感じる
「情報」「知識」としてだけではなく
「興味」「関心」をもって考えてもらいたい。
「理想」も「誤解」も「実際」も知ってもらいたい。
常に「課題」があり、「改善」に取り組んでいることも知ってもらいたい。
伝えようとすると、欲張りになりがちです。
興味を持たせようと押し付けっぽくなると印象悪く思うかもしれません。
「誰にも起こり得る」「身近な出来事」に重ねて伝えてみる。
自分の生活の中にある「経験」に関係すると、他人事じゃなくなる。
身近に感じると自分はどう思うか、どうしたらいいか、知りたくなる。
「情報」「知識」が参考になり、「考える」ことができる。
それが「経験」の入口になり「実感」に繋がる。
そして、身近に感じることになる。
身近に感じるようになると、見えてくる。
見ようとしていなかっただけと気づく。
必要と思わないと、見ようとしないだけ
学生の頃の「授業」「宿題」を思い出す。
本気で必要と思っていなかった。
勉強しなければならないから、将来のために・・。
言われたことはやらなければ・・。
世の中で起こっている出来事でも思い当たる。
詐欺事件、地震など自然災害、自分の身に影響なくてよかったと思う。
法律や制度、税金、選挙で投票して変わるのだろうかって思う。
「やらされている」「我が事じゃない」そんな心理がある。
「身近に感じる」「自分に必要」に感じると見ようとする。
見えてなかったことが見えてくると、向き合おうとする。
なぜ大事なのか、何が必要なのかを考える。
本質を知り理解しようとする。