カモになるその前に〜英語学習のその前にあるもの〜
みなさん、お久しぶりです!!
色々とあって、中々記事を投稿することができていませんでした。
すると、不思議に書くパワーが貯まってきたので、寝る前に一つ投稿したいと思います。
さて、写真は僕が普段英語を教えている教室です!
僕は今アメリカの大学院で「応用言語学」と「第二言語教授法」なるものを学びながら、大学附属の言語学校で英語の先生をしています。
せっかくなので、かなりフレッシュな僕の体験と想いをこの記事に込め、こんなことを今回は語っていきます!
ズバリ・・・
自分がない人はビジネス(英語ビジネス)のカモになる!!
です。
いや、お前、それを先生が言ったら終わりやろ!と怒られかもしれません。
でも、僕が生徒と関わる中で日々感じていることです。
最後まで読んでいただけると、
「じゃあ私/僕 はどうして英語を勉強するのかな」ということを考えてもらうきっかけになったりするかもしれません。(義務教育や高校、大学の科目の場合は少し別です。あくまで、付加的に英語を学ぼうとする人に向けて書きます
1 英語はビジネスの良い種である
僕が今働いている言語学校は大学附属です。
僕自身、10年以上前にカナダで言語学校に通った経験を持つので、この違いについてはまたどこかでお話しします。
後者がビジネスの対象であることはもはや言うまでもありませんよね。
大学附属はどうか?
なぜ大学にこのような付属校が存在するのか、それを考えたいところです。
ここにやってくる生徒の主な入学理由は以下の通りです。
① 交換留学の指定校だった。
② 単純に英語の勉強をしたかった。
ただ、次の理由が圧倒的に多いんです。
③ アメリカ(英語圏)の大学に入学したかったが、英語能力証明(IELTS, TOEFLなど)の点数が足りず、「条件付き合格」になったため。あるいは「条件付き合格」にはなってはいないが、点数の補填として一定期間付属校で過ごせば大学への入学が認められるであろうとの算段がある。
言語、特に英語の場合、「英語を指導の主言語とする」組織や、英語能力を永住権取得への必須条件とする国が多く存在し、そのために「言語学校」は必須な存在になっています。嫌な言い方をすれば、「英語」は「ビジネスの種」でもあるということです。
2 目標のない人間には言語学校は蟻地獄
最初に述べておきます。
僕は相当な覚悟を持って生徒に向き合っています。
だって考えてみてください!!
半期で百万円、それ以上のお金をかけて、生徒は学校に通うんです。
今、自分がアメリカの地で同じように学費を払い、四苦八苦しているだけに、その負担は身に染みてわかります。
だから、僕は自分のできる限りのことを、そして知っている全てを生徒に渡したいと思っています。
今の僕の勤めている学校には、レベル分けが存在していて、Level1~Level5まで、能力別に生徒が振り分けられます。
僕は今Level1,2,3の混合クラスを担当しています。
ここで考えてください。
もし、Level4,5の混合クラスであれば、半期頑張って卒業すれば、次は大学が待っています。でも、Level1から始めた生徒はどうでしょうか?
Level1→Level2 半期 (百万円) Level 2 →Level 3 半期 (百万円) 3→4,5の混合クラス 半期 (百万円)
一年半かけての卒業になります・・・。
その間にTOEFLやIELTSの得点が劇的に伸びれば話は別ですが・・・
そんなケースは例外的です・・・。
もちろん、生徒は志を持ってくるわけです。
でも、遠く離れた地で、寂しくもなり、何かに誘惑され、やる気をなくし・・・
そんなケースは少なくありません。
ただ、被害を最小限にとどめるためにも、「辛抱強くその学校に残る」選択ができればいいのですが・・・。
時の経過とともに焦った生徒がどうするか・・・。
「よし、別の大学なら合格できるのでは!コミュニティカッレジなら入学できる!!」
と考え、一度その学校を辞めるのです・・・。
これがまさに本当の地獄への入り口。
別の大学で言い渡されるのは、「大学合格は条件付きで、半期は英語の授業を指定された分まずは取ってください。」
大学レベルの講義、もう教授は言語学校にいた1から10まで教えてくれる先生とは違います。
大学生が受ける授業を受けるわけですから、字幕なしでいきなり洋画を見せられるようなものです。宿題の仕方さえうまく要領がつかめず、単位を落とし、数年経ってやっと指定の英語授業を習得するなんてことはザラにあります。
3 目標がある人間には方法論がある。
正直に今思っていることは、
「仮説だらけの英語学習の世界、正解などほとんどない」
ということです。
英語学習、英語教授の世界って、論文を読むと、ほぼこの単語がつくんです。
Hypothesis
つまりは「仮説」です。重宝され、長年その検証が行われている説でも、「理論」への昇華は非常に難しく、100年近く「仮説」のまま、その証明がされるのを待っている「理屈」が多く存在します。
ベイシックな理論、方法論は存在するので、ある程度「このように勉強するべきだ」と理屈とともに語ることはできます。
ただ、巷に転がる、
「これであなたもネイティブ!!」なんていうどこからともなく湧いてきた説、あれほぼ根拠などありません。
そして、英語学習を長年続けてきて思ったことがあります。
どのような勉強から始めても、必ず行き着くところがある。
ということです。
例えば、僕はカナダでコミュニケーション重視の学校で英語を学びました。
「生産」に重きを置いた指導です。僕にはすっぽりハマって、当時のTOEICでの指標で言えば、900点を通過するのにそれほど時間は掛からなかったと思います。
僕は、発音と文法の複雑なことはほぼ無視して、とにかく「使用すること」に重きを置きました。
でも今、結局は発音も文法も、「この先の壁」を超えるために、必要になってきました。
先生をしている時から思っていたことがあります。
日本語を書くのは日本人なら無難にこなすことができる。
でも、その文が美しいかどうかは、その言語がどれだけ鍛錬されたものかによる。
文は人の心を示すもの。字と文が綺麗と思ってもらえたら、まずは対人関係の入り口に立てる。
英語もまさにそうです。
話す言語と書く言語では、種類が異なってきます。
結局どんなアプローチから能力を高めて行っても、どこかに行き着くものです。
何を言っているのかというと、自分で方法を組み立てて、ゆっくりと着実に目標に向かっていこうとする人は、成長のスピードもまた早いです。
方法論なしに、なんでもかんでも信念なしに、またアドバイスを受け入れることなく勉強に向かう人の成長速度は異常に遅く、実は成長するどころか退化しているなんてこともあります。
そしてカモになるのです。ビジネスという名の蟻地獄。
まとめ
これ、先生として書くべきではないのはよくわかっています。
でも色々と理論を紹介していく前に、その理論の多くが最終的に行き着くのは最も入り口で丹念に考えられるべきである「目標をもつ意味」だよね、ということに、生徒と向き合い、自分の学習と向かい合う中で感じたのです。
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