英語を勉強すると言うこと〜自分探しの旅〜
こんにちは!!
先にビデオを撮ってみて、話したいことをまとめてみたので、もしよかったら、下のリンクより動画に飛んでみてください!記事と同じこと言ってます(笑)
なかなか哲学的な話にはなってしまうんですけど、この2年間で大きく影響されたことを語ってみました。
「言語を習得する」って単に「言語上の技術を伸ばしていく」ことだけじゃないんですよね。ぼくは、先生として、将来的には研究者として、このことを日本で伝えたり皆で話すことができたらいいなと思っています。
1️⃣ 言語はパスポートみたいなもの
綺麗事抜きで言えば、まだまだアメリカでは「聞きづらい英語喋りやがって」みたいな風潮は全然あります。第二言語の習得理論なんか、普通に生きてたら出会うものでもないし、「アクセントあるってことはよそもんやろ?」みたいな雰囲気、理解できます。
言語を話していくと、どうしても抜きには語れないのが、
「俺は誰なんだろう」問題です(笑)
英語を学び、レベルを上げていくってのは、決して素晴らしい特典ばかりがついてくると言うわけではないです。
僕だったら「日本人としての自分」と「アメリカで生きる自分」の間に、相当な葛藤が生まれました。
日本で生きてた時は、「先生としての自分」がアイデンティティになっていました。
でも、こっちで「日本で先生してるねん」って言ったところで、それが「僕の証明」にはならないですよね。
2️⃣ 「所属感」や「アイデンティティ」は言語の成長にも影響する
正直、20代の時に1年カナダで語学留学してる時にはこんなこと考えたこともないです。日本恋しいって言ったって、「食べ物恋しい」くらいでした。
それは、カナダでは僕は完全に「部外者」やったからやと思います。
こっちでより深く、地元の人と関わって、その社会のルールの中で活動する中で、最初は楽しいだけだった留学も、徐々に「俺はここに所属しているのだろうか」という疑念がどんどん強くなっていって、
「俺ってなんなんやろう?」
に発展していきました。
ちょうど、こっちで先生をしていること、学生をしていること、この2つの身分のギャップが僕をそういう考えに追い込んだのかもしれません。
先生なんだから、わからないことがあってはいけない。
こっちで育ったやつに負けてはならない。
そんな気持ちが、逆に心を閉ざす原因になっていたような気がします。
それが、「日本人のあいつかっこええやん」「あの生き方ええやん」って言われ始めて、色々アドバイスやら何やら求められるようになってからは、
「わからんものをわからんと言える大人でええんや。
こっちで必死で生きる姿が若者の刺激になるんや。」
と気づいてからは、自分の英語が自分の言語へと変わっていくのを感じました。
3️⃣ 日本の英語教育だってきっと変わる
理論を持ち込めば現場が変わるなど思ってません。
でも、世界のトレンドを見る必要はあると思ってます。
第二外国語教育の世界では、「アクセントの矯正」なんて言う概念はとっくに古くなってます。もちろん、日本でいまだに主流の教師中心主義の授業形態もすでに40年ほど前から古いと言われてます・・・。
日本人の性格は変える必要ないとしても、アメリカ英語(スタンダード英語と言われるよくわからないもの)を、コピーさせてそれ以外だめ!みたいな教育は、日本の英語力の伸長を邪魔するもののほかなりません。
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