留学の真実〜身を刺す孤独編〜
孤独の中での葛藤
僕はミネソタ州のSt.Cloud という街で2年間の留学生活を送りました。
留学自体は初めてではなかったし、30を超えて学生に戻るということに、「学ぶ楽しさがわかる今、フルで勉強に集中したらどれくらいの成果が出るだろう」という楽観的な想像しかしていませんでした。
ミネソタを選んだ理由はいくつかあって、その中でも大切にしたのは「日本人が少ないこと」でした。(これは後に大正解だったことが判明しました。)そして、今から行こうとする地が、「一年の半分は雪で覆われている」豪雪地帯であるということについての関心は、「ブーツを買えばいいだろう」くらいのものだったことを付け加えておきます。
さて、「留学してくる」とか、「海外で仕事してくる」と誰かが口にした時、どんなことを思い浮かべるでしょうか?食べ物のこと、コミュニケーションのこと・・・。
例えば、日本で有望なサッカー選手が「海外挑戦する」となったら、まずは「今の彼の持っている技術」を基にどれくらい活躍できるだろうか?と想像しますよね。正直、僕自身のことなのに、それくらいの「表層的な」イメージしか持たずにミネソタに渡ったこと、自己賞賛をすると同時に「なんとも危険な旅であったか」と首筋が凍る思いをする現在です。
寒さに意識を持って行かれた
マイナス10度とか下手をすると20度の白銀の世界。雪を白銀と捉えた過去の人の表現力にも疑問を呈したくなるほど、その色は白というより灰色・・・。歩けばほぼ3歩以内で歩く気を挫くような滑る地面。新雪の柔らかさなど文学的比喩でしか成立しない。柔らかいどころか、突風ともに身を削ってくる。外に出るのが物理的に難しく、結果多くの時間をインドアで過ごすようになる。そして、冬が訪れた時期は、ちょうど1学期が終わり、2学期へ移行しようとしているタイミングだった。「新しい生活への期待感」「緊張感」という防護服が弱り、僕本来の姿が露見されつつあった時期に、「本当の孤独」は幕を開けた。
なんだか気分が晴れなくなり、学校に行くのも授業を教えに行くのも、全てが嫌になった。そして一人で考え込む時間が増えた。寮の一人部屋の中、陽もろくに射さないその空間では、まるで牢獄の中にあるような孤独感に苛まれた。神経が研ぎ澄まされ、色々な音が耳に触り始める。そして思いに耽った。
「僕はここで何をしているのだろう」
34になって、それなりに経済力もこれからのことも計算が立ち始めた頃、なぜ僕はこんなところへやってきて苦しんでいるのか。日本で生活しているときはむしろ優秀な部類だと信じていた英語力も、日本ではやるべきことが見つからないと豪語した英語の指導力も、何もかもがうまくいっていない実感が心に迫ってくる。そして、なぜ自分は今更10代、20代の若者と寮生活で寝食を共にしているのか。叫び声も、ゲームをする音も、何もかもが耳に障った。
「なぜこんな苦痛を自ら買いにきたのだろう」
辞めたい、今すぐに日本に帰って暖かい生活を送りたい。
帰ったら、何を言われるだろう。どう言い訳したら最小限の笑いで収めることができるだろう。そんなことが頭の中を駆け巡った。一週間か二週間はろくに課題にも手をつけずに、部屋の中にこもっていたように思う。
続く・・・。
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