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日本人が日本人を一番馬鹿にしている件(自分の反省です。)〜先生のくせにそんなこともわかっていなかった僕〜

アメリカはミネソタ州、セントクラウド市よりお送りします。
大学院生活、3ヶ月が終了しようとしています。

今回の記事のメインポイントは「日本人が英語の多様性を認める日が来れば、もっと気楽に英語を、学び、話せる日が来るのでは」というものです。


お久しぶりです!!やっと時間を取ることができました。
アウトプットすることで、思考が固まっていくので、ノートアプリは大好きなのですが、いかんせん時間の確保が難しく、ここまで放置してしまいました。

 僕自身(すいません、毎度一人称は僕で通しています。学級通信も僕なんです)、現役の中学校教員でありながら、現在はアメリカの大学院に籍を置き、写真にあるように日々勉強に励んでいます。

どんだけ勉強するねん!!!

アメリカの大学に関するそういった驚きは、今後改めて述べていきたいと思います。

今回は、英語の「多様性」と「intelligibility」(その言語が聞き手にとって理解できるか)についてです。
どうして日本人の英語レベルが低いままなのか、が副題です。

ここで、質問!!10秒ほど考えてください。

Q:「明日から英語の語学留学ができます。さて、どの国に行きますか?」



はい、そうですよね。多くの方々が「アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド」、この中から答えたのではないでしょうか?

想像に容易いと思いますが、学生に対するある調査ではほぼ8割がこの中から答えたそうです。
これらの国々はいわゆる「innner circle」と呼ばれる国々、いわば「主に英語が使われている国々」くらいの認識で良いと思います。

では次の質問です。

Q:「あなたはアメリカの学校にやってきました。でも、講師のリストにアメリカ人らしい名前は2つほどしかありません。中には日本人の名前もあるじゃないですか。さあ、正直な感想を。」


これ、日本人の大学生に尋ねた調査があるんです。
ちょっとニュアンスは変えていますが。
主な答えは、こんな感じでした。

「日本人の先生って、発音とかあてにならない。」
「アメリカ人の英語を勉強したいのに」


ここではっきりさせておきたいのは、僕はこの場で「誰かをジャッジしたいわけでも、何が正しいと言いたいわけではない」ということです。


僕は現在、ある授業で「なぜ日本の英語力が向上しないのか」というテーマでリサーチをしています。もちろん、新たに「理論」を生み出すなんて高度なことはできません。今は過去の論文の中にある「仮説」「データ」をもとに「傾向」を捉えているところです。

※ 言語の世界に、「真実」「理論」はほぼ存在していません。
 あるのは膨大な「仮説」です。何十年経っても、一つの強力な「仮説」の上に人々が反駁したり、「理論」への昇格を目指して研究を重ねています。
(つまり、「こうしたら英語話せるよ!!」というYouTubeなどのアドバイス、あらゆる商品はある程度「そういうやり方もあるのか」の見方が必要かもしれません。って、僕自身もこういう学習するまでは、自分のチャンネルでひたすら偉そうに話してきました・・・。)


さて、先ほどもお話ししたように、日本人は「スタンダードな英語」を学習したいようです。当たり前ですよね。僕だってその1人「でした」。

さて、また質問です。

Q:「スタンダードな英語」とは何ですか?

A:「いやいや、ネイティブスピーカーみたいなやつでしょうが」

Q:「ではスコットランドの英語、テキサス州、ケンタッキー州の英語はスタンダーですか」


そう。スタンダードな英語の定義はあるにはありますが、僕たち日本人にはまるで遠い話のように感じます。

ちなみに、僕の教授が言いました。

「僕が話すミズーリ州のアクセントよりもインド英語の方がよっぽど通じるよ」


インドって、第3位の「英語話者」を抱えているんです。
つまり、「インド英語」なんていうのは失礼に当たるってはなしです。

日本人の「信念」のなかに、おおよそですがこのような感覚があるようです。

「英語はアメリカとかイギリスからのもの。そういう人たちと同じ話し方ができなければ、恥ずかしい。」

この感覚が生む作用は次の二つです。

「 英語圏(日本人が言う英語圏です)の人たち以外に英語を学ぶことはない。彼らの英語は不完全」

「私たちの英語はもっと不完全。だから話したくない。」


マレーシア、シンガポール、フィリピン、ネパール、ジャマイカ、は英語圏ではないという僕たちの感覚。

シンガポールは「英語が第1言語ではない国々の英語素養度ランキング」なるものにて7位。(上位は全てヨーロッパ。日本は35位で、「低い素養度」と言う位置付け)

そして、言語の世界では、誰もが目を背けたくなる「定説」が共有されています。


ネイティブスピーカーのようなレベルにいく第二言語使用者は全体の数%しかいない。


ここまでの話をつなげていくとこうです。

ネイティブスピーカーと言う定義は曖昧だが、とりあえず目指す。
ネイティブスピーカーは「英語圏」に存在し、それ以外の人たちが使う英語は何だかよくわからないし、伝わりにくいと思う。
そういう「私たち」は、もっと通じにくい英語を話すので、正直恥ずかしい。


確かに僕たちは「単一言語」の国で生活しています。
日本語の特徴は英語のそれと遠く、学習には苦労が伴います。

でも、ぶっちゃけた話、理屈上「ネイティブのように」話せる人は全体の数%です。


その数%の実現のために、国全体で英語学習を目指しますか?
いいえ、僕たちは実際そうやって盲目的に信じているんです。


すいません。偉そうに言いました。
正直、僕もまだまだよくわかっていません。

ただ、僕は先生として、非常に大切な視点を欠いたまま10年も働いてきてしまったと思います。

「日本英語」の存在を認め、「英語の多様性」のなかで自分を表現する。

ここで大事なのは「好み」とか「それって発音練習しなくていいってこと?」とか、そういったことは別だと言うこと。

発音の練習はしなくちゃいけない。だって、日本のカタカナ読みは「通じない可能性が高い」から。

「日本人らしいアクセントが残っているけど通じる」

これを一般的な目標にできたなら、どうでしょう。
言語は「状況」のなかで使われることがほとんどです。
友達との関係を築けば、「アクセント」は愛おしいものに。
自己表現ができれば、「アクセント」は「ファッション」に。

大きなヒントは、BTSの英語を話す彼(名前忘れました)の「コリアンアクセント」をオシャレだと話すアメリカ人の友人がどれだけいることか。
彼の実績を目の前に、彼自身のブランド力を目の前に、彼のスピーチに胸を打たれる観客を目の前に、

「なんか英語訛ってる」

どれだけ野暮か、見えてきませんか?


僕自身この視点を得るのに、すごく葛藤しました。
何か「完璧な英語を話せない自分」への言い訳をしているようで。
でも僕の友達がこう言ってくれます。

「お前の英語は完璧だ。通じるから。日本人訛り格好いい。」

この体験をどのように授業に還元していくかどうか、それが僕の宿題です。

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