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アメリカって国を僕なりに解説〜留学しやすいの?住みやすいの?〜


1️⃣言語の多様性に敏感ではない国

そもそも日本人は言語の多様性には全く敏感ではないと思います。だって、ある大物政治家が[one language ]って日本を定義してますから。

ただね、日本で外国語を聞くと、「ああ、外国の方が来られてるんだ」ってなりますよね?決して日本に来られる、住まれている方々の人数が少ないわけでもないのに、「日本語以外」の言語へのセンサーは発達してると思います。

アメリカではいい意味で、違う言語が聞こえても「ほぼ興味なし」なんですよね。
民族も、言語もいろんなものが混ざっているので、「今更そんなこと言わんでもわかってるやん?」みたいな感じです。

ただね、そこに「多様性への許容」があるとは全く思いません。

これね、日本人と根っこのメンタリティが違うので単純比較は全く意味ないんですが、

日本人は「ああ、スペイン語話されるんですね?僕の言っていることわかりますか?」

アメリカ人は「おい、英語話せや」

って感じです。

でね、ここからが嫌な言い方になりますが・・・。

アメリカ:「普段はスペイン語でもアラビア語でもなんでも話してや。
      ただ、俺に話しかける時は英語喋ってや。
      ああ、カタコトの英語やめてな?
      ああ、発音は僕らのやつに近づけてな?」

って感じです。

これ、僕は「英語を第二言語とする」という前提の専門に籍を置いているので、普段はなかなか気づかないんですよ。その教室だったり空間にいるアメリカ人もすごく理解があって、英語つまずこうが何しようが、「わかったよ〜」って感じです。

でも、一歩外に出てみたら、キャンパス内とて

「英語を僕らのように話してよ。アメリカに来たんでしょ?」

っていう感覚はかなり強いです。

しかも、僕がいるミネソタでは結構保守的な考えが主流なので、

「外国語怖いんですけど」

くらいの感覚が人の中にあると思います。

2️⃣ 世界を知らないだけでなく、知る必要がないと思っている


僕の周囲にいるアメリカ人の友達は決まって聞いてきます。

「え?ニュージーランドって英語圏なん?」

これくらいならば全然初級編。

「え?パキスタンってインドの一部ではないの?」

「え?アフリカに英語話す国あるん?」

「え?日本の米もどこの米も同じやろ?」


僕だって日本以外のことは愚か日本国内のこともわからないこと多いので、全然彼らが特殊だとは思いません。ただ、「知らない」のベースにある「理由」が日本人の多くとは違うとは感じています。その大きな違いが、

「なんかわからんから拒否する」

って感覚。

ミネソタの人、学生でイギリスを悪くいう風潮あります。
オーストラリアはイギリスの影響を受けているからダサいらしいです。
ニュージーランドは認識されてません。
カナダ(僕の第二の故郷w)はアメリカの一部やと思ってらっしゃいます。

アメリカの場合、「アメリカはアメリカ単体で成立する」って本気で考えている人が結構多いように感じてます。そして、アメリカの中にあるものが世界の縮図やって思っている人が多いんでしょう。だから、「ようわからん🟰別に興味ない🟰嫌い」みたいになってると感じます。

僕いつも聞くんですよ。

「お前らそんなん楽しないやん。嫌い嫌い言い過ぎて選択肢少ないやん。」

彼らがしつこいくらいに口にするピザも、パスタも、

「イタリアに行ったら本物食えるやん」

っていう感覚にならないみたいなんですよね・・・。

3️⃣ 無礼とフリーダムの区別が曖昧

日本人にとって一番対応が難しいのはこの点かもしれません。
文化、文化によってスタンダードが違うので一概に何がいいとは言えませんが、一つ確かなのは、日本で育った人がアメリカで困惑するのは「無礼と自由の線引き」でしょう。

日本では、「無礼にならないようにしていますよ」というジェスチャーは評価されます。
例えば、授業中にトイレに立つとしましょう。(この時点で日本では厳しいのかも)
教授が一生懸命話しています。
生徒が一生懸命聞いています。
邪魔したくないので、できるだけ後とか端を通りたい。でも、どうしても教授と生徒の間をいくしか選択肢がない場合。

日本人の多くが、姿勢を低くして教授と生徒の視界に入らないように努めると思います。

アメリカでこれをやると、

「透明人間にでもなったつもりか?見えてるぞ?逆に目立ってるぞ」

とその意図は理解されません。
これは単に文化の違いですから良しとして、

エレベーターやドアやら何かを開けて他の人を待っているとしましょう。

「ありがとうございます」

って通過する人数は体感ですけど日本の3分の1です。
何なら「別に頼んでへんやんけ」みたいに不貞腐れた顔で通過する人もいます。

そう、この「不貞腐れた」という印象・・・
この印象を与えないために、日本人は礼儀を重んじるわけでしょ?
ルールにはないけど、「他の人が気を害さない程度の気遣い」ってある程度あるでしょ?

アメリカにはこの「概念」がほぼ「個人任せ」になってます。

「失礼って受け取られるくらいなら丁寧にやったらええやん」

この「概念」が存在していないように見えます。

日本の教育は「普段は物静かでも人見知りでもいいけど、人に話す時くらいはそれなりの愛嬌を見せなさい。」

アメリカは「普段人見知りなんやろ?別にそれでええやん。」

この違い、結構大きいので、日本人は苦戦すると思います。
ちなみに僕は日本人ぽくないと言われること多々ですが、それでもこの違いには結構苦戦しました。(いいえ、慣れることはなかったです)


4️⃣  例外はそっちで勝手に対処して

僕ね、日本で働いていて息が詰まったのは、

「で、目的は?で、手順は?で、アクシデントが起こった時の対応プランは?」

会議しても書類作成しても、説明の上に説明、書類の上にまた書類。


アメリカは「大枠でいくで〜。あとは任せたで〜」って感じ。

受付こっちです、いいえこの受付はあっちです。え?そんなことは私のところではわかりません・・・。

みたいなことが多いので、大学内でも一件の疑問が色々な窓口と日数を経てやっと解決されるみたいなことは少なくありません。

例えば、保険制度一つにしてもそうです。

日本では「やっべー救急車呼んでもうたー。お金かかるやん」なんか考えませんよね?
緊急時となったら呼びます。

でもアメリカでは

「救急車呼ぶなって!お金かかるやん!」
「え?医者?あかん!!それ保険でカバーされへんやん!」
「歯医者って、それ保険ではカバーされへんで」

日本ではバスも電車もタクシーも、交通網のオプションありますよね?
それが社会の果たす枠割やって日本社会ではなってるからです。

でも、アメリカでは

「はい?バス?車買ったらええやん?」

バスの本数も圧倒的に少なければ、バスで行ける範囲も限られてます。

アメリカでは、全体の動きが迅速に決まって、

「こういうケースはどうする?」は出た時に対処したらええやん。っていう感覚の方が強いように感じます。それが楽に思える場面も多いし、だからこそ日本よりも色々な動きが早いんだろうなとも思います。

切るもんは切るで。

この感覚が非常に強いように思います。


5️⃣ アメリカはすごい国だという僕の思いには変化なし

つい悪口みたいになってしまってしまいました(反省)
単純に「日本人の感覚」で「アメリカ(人)」をみたらこうなりましたって話です。
しかも「アメリカ人」の定義もあえてフワッとしたまま。
多分、僕がここに書いたのは「アメリカの中にある白人文化」でしょうね。
それにも「おい、みんな一緒にするなや」って言う人はたくさんいると思います。

僕の2年間のアメリカ生活を経ての感想は、

「アメリカは俺みたいにおもろさ勝負や、得意なもの勝負やって人間には寛容」
「アメリカで病気したり災害に出会した時、生きていける気がしない」
「アメリカ人に気づいてもらわないと世界の(日本の)英語教育は変わらない」
「アメリカ人には自由という言葉に縛られて不自由をしている人が多い」
「社会的弱者には風当たり厳しい。社会で支える仕組みが脆弱」

「細かいこと気にしないからこそ、大きなものが生まれる」

元々、記事の目的は「日本人がアメリカに住むとしたらどんな差を知っていたらいいか」ということを書きたくて始めたのに・・・。

僕のアメリカへの愛は変わらない。
ただ、その愛だけではアメリカでは生きていけそうにないこともまた明らかになった。

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