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Vol.522「秋篠宮殿下〈いじめ〉発言」

(2024.12.11)

【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…秋篠宮殿下のお誕生日に際した記者会見における「皇族は生身の人間」「バッシングというよりいじめ」というご発言は衝撃的ではあったが、当然の発言だとわしは思った。だが、週刊誌は絶対にそのようには受け止めなかった。週刊文春は翌週号の巻頭特集に『秋篠宮が国民と訣別した日』、週刊新潮は『秋篠宮さまが吐露された「国民」「政府」へのご不満』というタイトルの記事を掲載した。内容はどちらも大差なく、秋篠宮殿下のご発言を、皇族が国民を批判したものと曲解して、さらに殿下を叩くものだった。非常識も甚だしいが、その一方で、秋篠宮殿下の記者会見を見た時点で、週刊誌がそんなことを書くだろうということは大体予想がついていた。なぜかといえば、そう書かなければ売れないからである。秋篠宮殿下が投げかけた問題の真意を、どれだけの国民が理解しているだろうか!?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…朝鮮半島では、高句麗、新羅、百済が抗争を繰り返し、そこに大国・唐が勢力を強めてきて、ますます戦々恐々とした情勢が続いていた。そして遂に斉明6年(660年)10月のある日、新羅を率いた唐の軍が、百済に侵略して滅ぼしてしまったという衝撃の報告が入る。親交のあった百済の窮地、時の女帝・斉明天皇、御年68歳!は自ら朝鮮半島への派兵の準備に乗り出し、朝廷のすべての貴族と役人を率いて「百済遠征軍」を組織、最高統率者となって前線基地である筑紫(現在の福岡県)に向けて出港した。この行軍の中に、17歳のさらら、後の持統天皇もいたのである!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…少子高齢化社会の本格化に加え、バスの運転手のなり手がほとんどいない現在では、自動運転バスを拡大すべき?日本で、韓国の戒厳令のようなことは起こる?作品によって読者像の傾向を感じることなどはある?『歌謡曲を通して~』で歌う曲はどのようにして決めている?国民民主党に期待できることはない?漫画は女性漫画家よりも男性漫画家の作品の方がヒットしやすい?…等々、よしりんの回答や如何に!?



1. ゴーマニズム宣言・第551回「秋篠宮殿下〈いじめ〉発言」

 秋篠宮殿下のお誕生日に際した記者会見における「皇族は生身の人間」「バッシングというよりいじめ」というご発言は衝撃的ではあったが、当然の発言だとわしは思った。そこで「SPA!」掲載の『ゴーマニズム宣言』では現在、ご発言を擁護する作品を制作中である。
 だが、週刊誌は絶対にそのようには受け止めなかった。

 週刊文春は翌週号の巻頭特集に『秋篠宮が国民と訣別した日』という大々的なタイトルを打った。
 週刊新潮は『秋篠宮さまが吐露された「国民」「政府」へのご不満』というタイトルだ。
 内容はどちらも大差なく、秋篠宮殿下のご発言を、皇族が国民を批判したものと曲解して、さらに殿下を叩くものだった。
 週刊誌は適当に書き飛ばした記事を、すぐ翌週に載せることができる。ネットならもっと早い。それに対して漫画の『ゴー宣』はまだ画稿も完成しておらず、圧倒的に不利となってしまう。
 そのタイムラグを埋めることも、この「小林よしのりライジング」の重要な役割である。

 わしは秋篠宮殿下のご発言を聞いて、当然のことをおっしゃっているとしか思わなかった。もちろん、秋篠宮殿下が国民と「訣別」したなんて夢にも思わなかったから、週刊文春の書き方は非常識も甚だしいと感じた。
 だがその一方で、秋篠宮殿下の記者会見を見た時点で、週刊誌がそんなことを書くだろうということは大体予想がついていた。
 なぜかといえば、そう書かなければ売れないからだ。
 週刊文春も週刊新潮も、見るたびにどんどんページ数が減って薄っぺらくなっていて、それでいて値段は1冊500円前後まで上がり、当然ながら部数は激減している。今は紙の値段がすごく上がっていて、印刷代・輸送費のコストもかかり、それでいて広告収入は減少の一途だから、もはや雑誌文化は臨終間際の状態だ。
 そこで皇室を褒めたり、皇族のご発言を肯定したりしたって、全然部数には結びつかない。叩かなければ売れないのだ。

 わしは『愛子天皇論』シリーズで、愛子さまを褒めることばかり描いている。実際に褒めるしかないほど素晴らしいから、そう描くしかないのである。
 しかし、たとえそこまで素晴らしくはなかったとしても、そもそも天皇・皇族の方々は、国民のために不自由な人生を「やっていただいている」というお立場なのだ。それは一国民としては申し訳ないと言うしかなく、バッシングなんてもってのほかと思うのが当然の感覚のはずである。
 ところが、雑誌にそんな正論を書いたところで売れはしない。『愛子天皇論』だって、褒めることばっかり描きながら部数を伸ばすにはどうすればいいかと四苦八苦している。商売だけ考えるなら、バッシングした方がいいのだ。
 それで秋篠宮殿下が記者会見であの発言をした場合も、文春・新潮はそれをどこまでも悪意で歪曲して叩くだろうという予測はしていたので、やっぱりそうなったかとは思った。
 とにかく週刊誌は、何があろうとどこまでも極端に、どこまでも攻撃的に書くものだ。全ては売るためだ。

 週刊誌の記事なんて、本当は中身なんかどうだっていい。重要なのはタイトルだけだ。
 松本人志の件だって、実際に本文記事を丹念に読んでみれば、刑事事件に該当するようなことはほとんど書かれていなかったし、実際に「被害者」はついに警察には被害届ひとつ出さなかった。
 ところが、誰も本文記事なんかマトモに読んでいない。タイトルのインパクトだけで松本は「性犯罪者」のように認識され、未だに復帰の目途すら立っていない。
 タイトルにどれだけスキャンダラスで、インパクトのある言葉を思いつくか、週刊誌はそこに全てがかかっているのだ。
 その点でいけば、文春の『秋篠宮が国民と訣別した日』と、新潮の『秋篠宮さまが吐露された「国民」「政府」へのご不満』では、文春の圧勝だ。
 よくまあ、秋篠宮殿下が「国民と訣別」などという、そこまで言うかと思うほどの極端な表現を思いついたものである。

 なお、文春は「秋篠宮」と呼び捨てで、「訣別した」と敬語も使わないのに対して、新潮は「秋篠宮さま」と「さま」付けで、「吐露された」と敬語も使っている。これも、文春の方がより強烈に感じる要素になっている。
 文春は本文記事でも、コメントなどの紹介・引用以外の「地」の文章では、全て「秋篠宮」と呼び捨てにしているが、なぜか一方では「悠仁さま」「紀子さま」「佳子さま」と書いている。これもおそらく、バッシングの相手に「さま」とか「殿下」とかをつけたらインパクトが弱くなるからというテクニックだろう。
 週刊誌は「タイトルが全て」というのは、誌面を見てもよくわかる。

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