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号外「パリ五輪閉幕・3年前の東京五輪の時の空気を覚えているか?」

(2024.8.13)

(お知らせ)
※マリーアントワネット斬首パフォーマンスから始まったパリ五輪。開催中も不可解な判定や、汚染セーヌ川での競技強行など、選手の活躍とは別の部分での話題が盛り沢山だった。
 日本でも、あのトンデモ開会式を評価する知識人がいたり、選手への誹謗中傷が止まなかったり、3年前の東京五輪と比較してあれやこれやと言う声が聞かれた。
 では、3年前、日本の空気はどんなものだったのか?何が起きていたのか?いったい、どれだけの人が覚えているだろうか?
 3年前の「小林よしのりライジング」に掲載した、五輪に関する『ゴー宣』を掲載し振り返ってみよう!



1. ゴーマニズム宣言「東京五輪を子供たちのために」(2021.5.25掲載)

 以前は、わしはオリンピックに経済効果などないことを論証し、オリンピック開催に懸念を示していたが、今は、コロナ禍だからこそオリンピックは絶対やるべきだと主張している。
 どういうわけだか、わしの考えはいつも圧倒的少数派の意見になってしまうのだが、別に逆張りでやっているのではない。
 新コロは「インフルエンザ以下」というわしの主張を貫徹すれば、オリンピックを止める意味などないし、コロナ禍の最大の犠牲者である子供たちのためにこそ、開催すべきなのだ。

 朝日新聞社の最新の全国世論調査では、東京オリンピック・パラリンピックの開催をどうするのがよいかという質問に対し、「中止」が43%と最も多く、「再び延期」が40%で、「今夏に開催」は14%にとどまった。4月調査と比べ、「中止」が大きく増え、「今夏」は半減したという。
 再延期といったって、来年は冬季五輪もサッカー・ワールドカップもあるわけだし、再延期に伴うコスト等の問題も山ほどあるから、現実的には無理だろう。再延期は実質的には無期延期であり、中止を求めているのに等しい。
 つまりは「開催反対」が83%で、賛成は14%ということだ。
 2013年8月、東京五輪招致決定直前に行われた朝日新聞社の全国世論調査では、開催賛成が74%、反対が17%だったから、真っ逆さまだ。

 滝川クリステルが「お・も・て・な・し」と言って五輪招致が決まった時は、たちまち日本中が祝賀一色となって沸き上がり、「祝賀ムードに水を差す奴は非国民」という空気が出来上がった。
 当時は、東日本大震災の被災者がメディアの取材に対して「オリンピックどころではない」と答えたら、ネットで「いつまで同情して欲しいのか? 国民が一丸となって招致したオリンピックをけなすとは、被災者は一体何様のつもりか!」と叩かれるという事態まで起きている。そもそもこのオリンピックは「復興五輪」を標榜して招致したはずだったのに。
 ところが、8年前にそんな「五輪歓迎全体主義」があったことなど、もう誰も覚えていない。それどころか、真逆の「五輪中止全体主義」の空気が完全に出来上がって、五輪開催を主張したら「非国民」扱いされかねないのだから、全く呆れ果てるしかない。
 こんなもんだ、大衆の世論なんてものは。全く無節操に極端から極端に動き、それでどうなろうと一切責任は取らない。そんな世論など気にしたって何の意味もないのであって、堂々とオリンピック・パラリンピックは開催すればいいのだ。そうしていざ日本選手が大活躍し始めたら、世論なんて簡単にひっくり返るに決まっている。

 先々週のライジング・コメント欄で読者からの指摘があって、なるほどそうだったかと思ったが、1998年2月の長野冬季オリンピックの時には、インフルエンザが大流行していたのだ。
 インフルエンザの流行は、年末から年明けのあたりにピークを迎えるのが通常のパターンだが、この年は暖冬だったため流行時期が例年よりも遅れてピークが2月にずれこみ、まさに長野五輪の開会式が開かれた2月7日を含む第5週が、患者報告数13万超とそのシーズンの最多を記録している。そしてこの数字は、それまでの10年間で最多であった。

 さらに、このシーズンに流行したインフルエンザでは特記すべきことがある。この時、初めて「インフルエンザ脳症」が注目されたのである。
 1997/1998シーズンには、学童等を対象としたインフルエンザ様疾患発生報告では全国で127万人という、これも過去10年で最多の患者数となった。そしてその中に、重度の中枢神経症状を呈する急性脳症を発症した死亡例が報告されたのだ。
 このシーズンのインフルエンザ脳症による死亡者は推計100人に上り、そこで厚生省(当時)は研究班を立ち上げ、全国調査を開始したのだった。

 この年に小児のインフルエンザ脳症が注目されるようになった背景も、読者のコメントで知った。
 1970年代以降、インフルエンザのワクチン接種は学童への集団接種が基本で、学校の体育館等で一斉に接種していた。
 ところが副作用報告やワクチン無効論に押され、1994年に集団接種が廃止され、医療機関での個別接種に移行した。
 以後の接種率は当然のように激減し、ワクチン製造から撤退する製薬会社が続出し、そうして1998年はインフルエンザの罹患者が激増し、小児の急性脳炎が相次いで報告されるに至ったというわけだ。
そ してこれを契機に、重症化予防の観点から、再びインフルエンザワクチンの接種が見直されることになったのだそうだ。

 長野オリンピックが開催された冬はインフルエンザが大流行し、初めて脳症が注目されて、インフルエンザの危険性が大きくクローズアップされていた。
 しかし、だからといって長野オリンピックを中止しろだの、延期しろだのと言った人は一人もいなかった。
 競技場には約127万6千人もの観戦者が来場、表彰式会場や長野駅オリンピックプラザなど競技施設以外への来場者も合わせると全体で約230万人もの観客動員があった。
 そしてスキージャンプ・ラージヒル団体、原田雅彦選手の「ふぅなきぃ~!」の嗚咽が印象に残る大逆転金メダルや、スピードスケートでは日本初の金メダルを獲得した清水宏保選手の活躍などに、日本中が沸騰したのである。

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