Vol.523「紀州のドン・ファン事件無罪判決」
(2024.12.24)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…「紀州のドン・ファン」事件で殺人罪に問われた元妻に対して、無罪判決が出た。検察側の立証は状況証拠の積み重ねで、直接的な物的証拠は何もなかったのだから、無理はない。この裁判では「疑わしきは被告人の利益に」という原則が通されたわけで、それは非常に重要なことである。この原則が徹底されていれば冤罪は起きないのであり、そういう意味で今回の判決はよかったと思う。やはり冤罪を防ぐためには、状況証拠の積み重ねだけでは立証には不足であるということを、常識にしなければならないのだ。それで、ここで疑問を持つのは「和歌山毒物カレー事件」だ。人々の「偏見」「冤罪」そして「死刑制度」まで考えてみよう。
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…白村江の敗戦から5年。戦後は、一刻も早く鉄壁の国防体制を築かねばならず、誰もが走りまわる慌ただしさが続いた。工事に関して、喧々諤々と話し合いが続いたかと思うと、巨大な防塁が築かれた日は祝宴が催されることもあり、朝廷内外の空気も、人々の感情も、目まぐるしく回転しながら、急スピードで前へと進んでいた。そんな中、ある事件が起きる!物語は、あの古代日本最大の内乱へと近づいているのだった…!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…岐阜県郡上市の「100歳祝いに贈っていた10万円を止めて中学生の給食費に充当する」という政策、これも手取りを増やす為のパイの取り合い?『夫婦の絆』制作において意識した作品はある?同年代と比べたら圧倒的に若い脳で世の世相の変化に敏感でいられる理由は?病に罹った時にQOLを重要視するのか、最期まで闘う姿を見せるような生き方か、どっちを選択する?今年観た映画ベスト10は?…等々、よしりんの回答や如何に!?
1. ゴーマニズム宣言・第552回「紀州のドン・ファン事件無罪判決」
「紀州のドン・ファン」事件で殺人罪に問われた元妻に対して、無罪判決が出た。
検察側の立証は状況証拠の積み重ねで、直接的な物的証拠は何もなかったのだから、無理はない。
検察は、元妻が覚醒剤を大量に飲ませて殺害したと主張したが、どうやって飲ませたのかは明らかに出来なかった。実際には本人がもともと覚醒剤を使用していて、失敗して飲み過ぎたのかもしれず、そもそも殺人事件だったのかどうかさえ定かではないのだ。
確かに元妻のスマホの検索履歴には「覚醒剤 死亡」だの「妻に全財産残したい場合の遺言書文例 遺言書」だのといったものがあり、状況的にはあまりにも符合しすぎていて、これは怪しいと思う。だがそれでも、それは殺害の直接証拠とはならないのである。
今回のような、状況証拠の積み重ねによる立証が認められないという判例が定着すれば、犯罪者の側から見れば、ある意味「完全犯罪」がすごくやりやすいということにはなってしまう。
いくらあちこちにたくさんボロを出していたとしても、実際の犯行時の映像を撮られていたというような決定的な証拠でもない限り、逃げおおせることが可能になってくるだろう。
とはいえ、この裁判では「疑わしきは被告人の利益に」という原則が通されたわけで、それは非常に重要なことである。
この原則が徹底されていれば冤罪は起きないのであり、そういう意味で今回の判決はよかったと思う。やはり冤罪を防ぐためには、状況証拠の積み重ねだけでは立証には不足であるということを、常識にしなければならないのだ。
日本の刑事裁判では、検察が起訴したら有罪率が99.9%。裁判になったら無罪になることはほぼないというが、そのこと自体に無理があったのかもしれない。
今回の裁判でも、裁判員制度による審理でなければ有罪判決が出ていたかもしれないという見方もあるようだが、今までの裁判の方が、検察のメンツばかりを優先しすぎていたのではないかと思う。
今回の裁判員の心証には、袴田事件が大きく影響したのかもしれない。何しろ物的証拠が捏造されていたということが現実に起きていたのだ。物証があっても信用できないということすらあるのなら、なおのこと状況証拠の積み重ねだけでは信用できないということになるわけである。
それで、ここで疑問を持つのは「和歌山毒物カレー事件」だ。
平成10年(1998)、和歌山県和歌山市園部地区で開催された夏祭りのカレーに毒物が混入され、67人が急性ヒ素中毒となり、4人が死亡。近所の主婦・林眞須美が被疑者として逮捕・起訴され、死刑判決が確定しているが、これも状況証拠しかない。それどころか林眞須美には動機もない。
なぜ地域の夏祭りで無差別殺人を仕掛け、子供まで殺さなければならなかったのか? その点が全く解明されていない。
確かに、林眞須美はいかにも怪しい。カレーに混入されたものと組成上の特徴が同じ亜ヒ酸が自宅で発見されているし、カレー事件以前には知人に勝手に生命保険をかけ、ヒ素を飲ませるという保険金詐欺・殺人未遂事件を何度も起こしている。
しかし、それでも眞須美がカレー鍋にヒ素を入れたという直接証拠はない。そのために常に「冤罪説」が唱えられており、現在、再審請求が和歌山地裁に受理されている。法務大臣も、林眞須美の死刑執行命令にはサインすべきではないだろう。
しかしそうは言いながらも、どうしたって「偏見」は入り込むものだし、それを否定すべきではないともわしは思っている。
「紀州のドン・ファン」について思いっきり偏見を述べさせてもらうと、そもそもあれは、金持ちのクソジジイだ。
カネにあかせて何でも好きにできるかのように思い上がりやがって、ろくでもないジジイだという「偏見」が働いてしまうので、たとえ殺害されたとしても、全く同情する気が起こらない。どうせいつ死んでもよかったようなジジイじゃないかとしか思えないのだ。
その一方、元妻は若くて美人だ。だったら、ジジイのひとりやふたり騙してたっていいじゃないかと思ってしまう。美人ならそれくらいずる賢くてもいいし、むしろドラマになりそうで面白いという感覚が、どうしても湧いてしまうのだから仕方がない。
偏見というものは絶対に入り込むものであって、偏見を一切排除して物事を判断することなんてできるのだろうかと思う。それは裁判員にしてもそうではないだろうか。
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