マンションを買えば、愛だけで男が選べる?! 結婚はいまだに「顔」と「金」の交換なのか問題
“アラフォー女性が都内にマンションを購入”。さびしい女性が、独り身を固める悟りの境地などととらえがちだったこの選択に、『FRaU』が打ち出した革命的なメッセージ「マンションを買えば、愛だけで男が選べる」。このコピーを手がかりにかつて“愛の捜査官”だった芳麗さんが、宇多田ヒカルや浜崎あゆみから、年収3000万の女社長まで、女性の愛の営みに潜入捜査を開始します。
マンションと猫を手に入れた女は、結婚できなくなる?
私はフラウの新居に招かれていた。リビングには大きな窓があり、見晴らしも風通しも良くて爽やかな気持ちになる。
「少し狭いけどね。いらないものは思い切って処分してきたから、だいじょうぶかな」
34歳、メーカー勤務。2年前に企画開発部に異動して、最近はプロジェクトリーダーを任されるまでになったフラウは、もう5年も恋人がいない。「次に付き合う男とは結婚する」が口癖だったけれど、恋人を見つける前に都内の駅の直ぐそばのマンションを購入した。
「マンションと猫を手に入れた女は、もう結婚できないなんて言われるけど。そんな迷信、信じていたら、いつまでたっても何も始まらない(笑)」
それにね、と言葉を続ける。
「気兼ねなく一緒に住める場所があれば……、愛だけで男が選べるじゃない?」
私は、彼女のまっすぐで切実な“愛”の響きに戸惑った。
FRaUが打ち出した革命的な発想の転換
女性誌ではよく伴侶や恋人を探すことを、マンションなどの住処探しにたとえて語る。さしずめ、恋人は賃貸、結婚相手は持ち家、不倫相手は定期借家物件か。
いずれにしろ完璧な物件はない。理想に近い物件があっても空家とは限らず、実際に住んでみなければ、しっくりくるかもわからない。
だから、自分にとって絶対に必要な条件は事前に絞っておいたほうがいい。適切な物件が見つかったら、今度は入居審査を通過して、相応の家賃なりローンなりを払わねばならないところも、伴侶や恋人探しと共通している。
やはり、手持ちの資産は多ければ多いほどいい。選べる物件の選択肢がふえていくから。
「マンションを買えば、愛だけで男が選べる」
『FRaU』がこの革新的な特集を打ち出したのは、2005年。バブルが弾けて久しく、世は、お金よりも愛礼讃ムード。小説『世界の中心で愛を叫ぶ』(2001年刊)以降、韓流ドラマ『冬のソナタ』など純愛ブームが続いていた。
未婚・未出産の働く女が“負け犬”※と呼ばれ、一般化された頃でもある。
※負け犬:2003年『負け犬の遠吠え』酒井順子著より
“セカチュー”こと世界の中心で愛を叫ぶの大ブームには、今ひとつのめり込めなかったけれど、 FRaUのこの提案はなぜだか響いた。私自身は、貯金も安定も乏しい自由業。無計画な旅と引っ越しが大好きだから、マンション購入なんて考えたこともなかったけれど、「愛だけで男が選べる」というメッセージには、素直に反応したのだった。
これまで独身女性がマンションを買うことは、ネガティヴなことにとらえられがちだった。資産を持てば、「結婚をあきらめた寂しい女」とか、「男にドン引きされる」「寄ってくるのは資産目当てのダメ男だろう」などと、世間は口さがない。
この負の共通認識を、FRaUは、オセロの黒を白に一気に変えるがごとく鮮やかに、ポジティブな一手としてひっくり返した。女の資産は、愛までも引き寄せるのだと!
結婚とは「カネ」と「カオ」の交換である。
この特集といつもワンセットで思い出す言葉がある。社会学者・小倉千加子先生が著書『結婚の条件』の中で述べていたこと。
「結婚とは、『カオ』と『カネ』の交換である」
結婚とは、男と女が互いの資産を交換して結ぶ契約であり、男が必死に稼いだ金で欲しがるのは「女の美しさと若さ」、女性が男性に求める最大の条件は「経済力」なのだと。身も蓋もないけれど、明快な言葉にされた時の威力たるや。その喝破に戦慄を覚えた。
人々はこの道理をあまり口にしなかったけれど、多くの老若男女は、現実の厳しさを知ると、「背に腹は代えられぬ。地獄の沙汰も金(顔)次第! 」ばかりに従っている。それは昔も今も変わらない。
ただし、小倉先生は、“若さと美しさは女の最大の資源だが、他者のそれと代替可能なものである”とも語っていた。つまり、「若くて綺麗だから」という理由で男に選ばれても、もっと若い美人に心移りされてしまう可能性があるということ。
だから、FRaUは、消滅しつづける若さやなけなしの美しさに依って資産家の男に選ばれることを待つよりも、自らの手で愛のある結婚を獲得するために「マンションを買え!」と提案したのだ。
これは、男女逆転の発想でもある。男にとって稼いで資産という力を持つこと、そこに魅力に感じてくれる女性をパートナーに選ぶことは、ごく普通のことだ。でも逆の方程式はなかなか成り立たなかった、少なくともそう思われてきた。女が自力で資産を持つことを多くの男性や世間は肯定しない、また、女性自身も100%は肯定できなかったのだ。
FRaUの同特集には、マンション購入の具体的な方法を紹介するとともに、「恋への勇気を与えてくれた 私の『勝負資産』」という企画もあり、西川史子、甘糟りり子、さかもと未明などが、着物やイタリア車やワインなど、各々の自己資産を誌面で披露していた。
資産は形あるものばかりではなく、稼ぐ能力や生活力でもいいようだ。
「打算なき恋愛には、計算高い資産が必要」?
ここ数年、周囲の独女たちが、30半ばを過ぎて収入が安定したあたりで、「金利が安いうちに」と、次々とマンションを買った。彼女たちは、「ひとりで生きる」と決めているわけじゃない。いわゆる女性の幸せをあきらめたわけじゃないし、購入後、普通に恋愛や結婚している人も多い。
世間からネガティヴな視線を向けられがちなことも知っていて、「モテなくなりそう!」なんてネタにしているが、さほど気にしていない。“自分は自分”と思えるからりとした明るさや強さがある。つまり、“マンションを買うような強い女は愛されない”などという発想や現実は当事者のものでなく、部外者の思いこみに過ぎないのだ。
「愛だけで男が選べたら」とは女性とって甘い夢であり、切なる願いだ。30過ぎて、稼いで自立することと、恋愛することの両方の苦みを経験した女性たちにとってはなおのこと。
「いちばん好きな人と打算のない結婚をしたいんだよね。だから、ますます仕事をがんばらないと」
会社を経営する40歳・独身の女友達も言う。もちろん、愛のためだけに仕事をしているわけじゃない。もともと仕事が大好きで、志も高い。年収3000万円を手堅く稼ぎ、仕事に対しては至極、シビアなのに、端的な結婚観はまるで中学生のように聞こえる。
夢見がちなわけじゃない。恋愛と結婚は別モノだと思っていても、条件の良い相手と付き合っても、心も現実も思うようにはいかないという経験があったからこそ、“愛だけで選びたい”の境地にたどりついたのだ。
でも、そもそも、愛って何?
宇多田ヒカルと浜崎あゆみが年下の外国人を選んだ理由
かつて、私は“愛の捜査官”だった。
なにを言っているのかとお思いだろうか。いや本気である。
公私に渡り、いろんなカップルの話を聞くのが趣味を通り越して職務だった。そして、恋話好きの女子を装いながら被疑者に接触し、何食わぬ顔で悩み相談に乗りながら、「そこに真実の愛はあるのか」を独断と偏見で判定していたのである。みんな、ごめん。ずっと黙っていたのだけど、女性誌ライターは世を忍ぶ仮の姿、本当は“愛の捜査官” だったのだ。
たとえば、29歳頃、同級生の間で結婚ブームが巻き起こった。売れない役者と付き合っていた女子が、いわゆるエリートな男に乗り換えてスピード婚を果たした話を聞いた時。「運命の人なの!」というのろけを聞きながら、「これで家賃を払わなくてすむ❤」なんて無邪気なコメントを引き出すなど、状況検分を進め、「Cクラス、生活への愛。短絡的。おでん女※の可能性濃厚」などと断じていた。
※おでん女:‘91年に一世風靡したドラマ『東京ラブストーリー』で有森成美が演じていた関口さとみタイプ。手作りのおでんや肉じゃがを差し入れるなど“女の武器”を計算高く活用して男を陥落する。女の仮想敵。
しかし、私は未熟だった。今ならわかる。短絡的なのは自分のほうだということが。
愛だけで恋人や伴侶を選びたいと言いながらも、その愛の概念がわからない。聖書に書いてある愛(アガペー)は知っているけれど、個人的な人間関係にはあてはめられない。ちなみにアガペーは、無償とか無限の愛、神が人々に施す愛のこと。人間仕様ではなさそうだ。
一文字を加えた“愛”。恋愛なら、情愛なら、性愛なら多分、体でも感じることができるから何となくわかる。けれど、無償で与えようとしながらも欲望に抗って日々揺れ動く――あの壊れやすい想いは、愛と呼べるものなのか?
浜崎あゆみや宇多田ヒカルのような絶対的な才能と財力をもって成功を収めた女は、何をもって男を選んでいる? 2人とも10歳前後も年下の外国人を選んでいるのは偶然なのか? (*執筆時は2016年)
「愛だけでパートナーを選んでいる」なんて公には言わないだろうが、世間体や社会的承認よりもシンプルな自分の価値基準を優先して、パートナーを選んでいるようには見える。
外国人であり、10歳前後も年下なのは、共通点は少ないほうが、国民的スターがひとりの自由な人間に還りやすいからだろう。まったく異なる文化と言葉をもつ相手には、“こうあるべき”だという固定観念を押し付けづらい。
日本において彼女たちにどんな地位と財産があり、周囲からどう見られていて、どれだけの名声を背負っているのか。まったく知らないわけではないだろうが、知ったところで、文化背景の違う彼らはさほど捕らわれたりはしない。知らない、わからないが前提だから、そこには新しい発見があり、肩書きや立場にとらわれない素直な理解がある。
そして、彼女たちには、その型にはまらない無垢な関係を守るだけの資産がある。
国民的スターほどではなくても自分の財力があれば、自由にピュアな関係を育てられるとしたら……憧れませんか? 私は憧れます。別に年下の外国人じゃなくても良いけど。
そういえば、件の年収3000万円の女社長も「恋人は絶対に年下がいい。好みの可愛い子がいい」と言っていた。
「結婚するなら会話とか舌の相性も良いほうがいいけど、別にわかりあえなくてもいいし、性格悪くてもいい」のだと。
彼女は、自分はさておき、相手には何かしらの打算があることも知っている。
「そりゃ、お金も経験もある年上の女と付き合えば、楽しくてラクだし、いざとなったら助けてもらえるって年下男なら自然と思うよ(笑)。でも、そう思わせるのも私の魅力でしょ? それに、打算があったとしても、好きで一緒にいて楽しいっていう気持ちまで嘘なわけじゃないもの」
資産を築いている女性にはこういう人が少なくない。自力で道を切り拓いてきたからか、達観している。人は多かれ少なかれ打算的なものであることを知っている。完璧に理解し合うことも、自分を受け入れてもらうことも、あらかじめ求めていない。
ここで結論めいたことにたどりつく――。
“愛”という崇高なものは、一見、お金とか資産などといった俗物的なものとは無関係に感じられる。でも、そうではないらしい。自分をふくめて打算なき人間はなかなかいないし、“打算なき愛”なんて、求めるほどに苦しくなる“永遠の夢”。
でも、だからこそ、自分から先に理想の愛を提示してみる。打算を捨てようと試みるしかない。そのために、自分で自分を支える基盤、つまり、資産が必要なのだと思う。
資産そのものが与えてくれる安心感はもちろん、資産を築ける自分の力を信じること、肯定することができたら、それは愛を育てるにあたっても、強力な武器になる。
私の恋愛が立ちゆかなくなる理由は、いつも自分の弱さだった。どれだけ仕事で成果を上げて評価されても、恋愛となると相手に依存してしまう、もっと欲しいと願う欲深さがむくむくと現れる。
世間に惑わされず、相手に依らず、まずは自力で自分の道を歩けたら、きっと『自分の愛さえあれば、幸せ』とも言える。そんな誇り高き強さが持てたら、私にとってそれは何よりの資産だ。そんな心という資産を肥やすために、日々、仕事をしてお金を稼ぐこと。ひいては、恋愛や人間関係に主体的に一途に向き合うことが必要なのだと仮定している。
自分にとって理想の家は、自分にしか作れない
「ちゃんと好きになった人なら少しくらいダメな男の子でもいいの。私と一緒にいれば、もっと幸せになれるよって本気で思っているから(笑)」とフラウ。
“愛と絆”の必要性はますます叫ばれながらも、「でも、お金は大事だよね」という現実を語ることに男も女もてらいがない。いまどき、女の豊かな資産に引く男ばかりじゃない。ダメ男に限らず、マンション付きの才女に、エネルギーや安定性を感じて、猫のようにそっと居つく男もいるだろう。
自分を支える資産があれば、強くなれる。その資産とはお金のみならず、強靭な精神力や人間力、自分ならではの経験値も含まれる。
とにもかくにも、自分の資産で自分を支えられたら、自然と相手に求めるものは少なくなるし、いろんなことを許容できるようにもなるのだろう。
でもね、願わくば、その猫のような彼が、言葉の奥に秘めたるフラウの純情をくみ取れる人でありますように。
フラウの部屋には、まだほとんど何もない。でも、それがいいのだという。
「今、どんな部屋にしようかイメージしているところだから、最初はからっぽでもいいの。私の理想の家は、私にしか作れないから」