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発信が億劫になったことを発信してみる

僕はネット上でもできるだけ顔が見える関係・リアルな関係の方々の存在を感じていたいこともあり、特にこの2年間はSNSの中でも実名・顔だしのカルチャーがあるFacebookを主に利用しています。

2010年から利用するようになり、以前から節目になるとその時々の心境を綴っていましたが、2年前に会社を辞めてからはそれまで以上にFacebookでの発信に力を注ぐようになりました。

月に何度かの頻度で、その時々で自身の中から湧いてくることやイベントを開催した後のレポート的な発信を行っており、毎回ある程度まとまった文字数の発信になっています。

そんな僕ですが3か月前・7月末に発信したことを最後に、Facebookでの投稿をしなくなっています。

理由は複合的です。

・神経質になっていた舌のもつれを改善しようと摂取したサプリメントで逆に調子を崩し、8月に入ってから人生イチの鬱状態になり、否定的にモノゴトを捉えるようになってしまい心理的にも内に籠るようになったこと。
・できたら僕の発信を観てほしくない、信頼関係が不十分な中でズケズケ踏み込んできがちな親戚とFacebookで繋がったこと。
・母とのやり取りを通じて、噂の蔓延るムラ社会のいや~な雰囲気を久々に思い出し、迂闊に自分のあるがままの姿を発信することへ抵抗感が湧いたこと

などなど、自分の精神状態と周囲から受ける影響とで、ものすごい勢いで負のスパイラルが周り、心の扉が閉まっていったように思います。

■どういう世界・人と生きたいか

10月に入って精神状態が回復し始めたこともあり、このような言葉がふと湧き上がってくれました。

信頼関係が不十分な中でズケズケと踏み込んでくるような親戚、母の話から伝わってくる噂の蔓延るムラ社会、このところ以前より目に飛び込んでくるようになったX(旧Twitter)等で目にする醜いやり取り、愛を感じられない・安心感を感じられない人や世界。

この3か月、何かとこのような世界や人の存在を感じながら生きていたのかもしれません。
そんな僕自身の感覚があったからこそ、そう大きく以前と変わらないFacebookの場で何か発信しようと思っても、強くブレーキがかかるようになった気がします。

ただ、「どういう世界・人と生きたいか」と自分に問うた時、上に挙げたような世界で生きたいはずがありませんでした。

・就活生のとき、愛を持って本音で人と関わることの素晴らしさを教えてくれた恩師
・元妻&娘関連で不安・恐れから守りに入りがちな僕を、僕にとっての本当の幸せに向け導いてくださっている弁護士さん
・この1年半、僕の変容を後押ししてくれた手放す経営ラボ,eumo,由佐さんコミュニティ
・僕のFacebook上でのカミングアウトや発信を温かく受容してくださった方々
・僕が開催したワークショップや勉強会でご一緒してくださった方々

その方々とこれまで共に作ってきた時間、その方々が生きている世界で僕も生きていきたい。
付き合う人以上に、自分自身の内側から湧き上がってくる想いを感じ、愛ある関係を築いていくために自分から心を開き・自分から相手を信じて歩み寄っていきたい。
自分が傷つかないために行動しないのではなく、他者・相手とのより良い未来に向けて自分から行動していきたい。

いま改めてそんなことを思いました。

■まとめ

発信が億劫になっていた日々を経て、今日はこうやってnoteで記事を書いてみました。
結局Facebookではないですが、この3か月を経て生まれた色んな想いや気づきが自分の内側にあり、文字にしたいと疼き始めるようになったのです。

まだまだ文字にしたいことはたくさん。

この数か月、自分自身の中に渦巻いていた恐れ・闇は何だったのか、何のために僕の元へと来てくれたのか、そんなこともここから改めて見つめ受け取り、新たな人生への歩みを進めていきたいと思いました。

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