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一味違ってしまった海外の旅

デビューして28年。
バンドのベーシストとしていまだに細々と活動を続けていますが、長くやっているとお仕事で海外に行かせて頂く事がこれまでに何度かありました。ライヴやイベント、レコーディングで行くのですが、せっかくの海外ですから必ずスチール撮影やMV(ミュージックビデオ)撮影とセットになります。
むしろ日程的には撮影の方が長いです。なんなら撮影だけの時もありました。今思えば贅沢な話ですね。
撮影はもちろん市街地もありますが、基本的には観光地は避けますし、人里離れたところに行くことも多い上に滞在期間が7~10日と長いので一般的な海外旅行とは一味も二味も違うものになります。

例えば、ハワイに行ってもワイキキではなく“ハワイ島”です。到着後、「まずは昼食」と、空港近くのレストランで中までしっかり火の通った「レアステーキ」(※どれだけ「レアで」と言っても、何度言っても必ずウェルダンで出てきます)を食べ、キラウエア火山の溶岩地帯までロケバスで行きます。
そこから真っ黒な溶岩の上を1kmほど歩いて溶岩が海の流れ込んで水蒸気がモウモウと上がる様子が見える所まで行きます。

その時はヘリコプターを使った空撮だったので、スタッフさんは僕らに小型トランシーバーと500mlの水のペットボトルを渡し、写り込まないように僕らから500mほど離れ、僕らはいつ何処からくるのかも分からないヘリコプターを、日陰も何もない炎天下の中、全く南国を感じさせない衣装を着て、ひたすら待ちます。

トランシーバーから「行きます」と聞こえると、ヘリコプターが近付いてきて上空を通過しますが、いつどのように撮ったのかは全く分からないまま、頭上を二度通過した後、トランシーバーで「OKです」と言われ、なにがどうOKなのか全く分からないまま、また溶岩地帯を歩いてロケバスに戻ります。

ちなみにその時の映像はMVに数秒使われました。

MVの撮影でロサンゼルスに行った時は、市街地から車で3~4時間ほど行った所にあるホテル…というにはかなり小さなホテルを拠点に3日間撮影があったのですが、このホテルが日本では考えられない所でした。
周囲には何もない砂漠地帯にある小さなホテルで、食事ができる場所はホテルにある小さなレストランだけ。営業時間は11:00am~2:00pm/6:00pm~8:00pmと非常に短く、メニューはパスタかステーキの二択で、驚くほど不味いのです。どうすればこんなに不味くなるのか教えて欲しいレベルで不味いのです。実はこのレストラン、ウエイターもコックも、ホテルのフロントマンでした。
部屋は10畳ほどの広さですが、あるのはベッドと小さなTVのみ。冷蔵庫はなく、エアコンは故障していてシャワーも水しか出ません。
文句を言った所でどうにもならないので3日間この環境で過ごしたのですが、僕の出番は最終日の一日だけ。それもここから車で1時間ほど行った先にある砂漠をひたすら歩くだけ。
それ以外の二日間は完全に放って置かれたのでずっと一人でゲームボーイの麻雀をしていました。

その後は市街地へ移動し、エアコンの効いた立派なホテルで残りの日程を過ごしましたが、ほとんど出番はなく部屋でNHKを延々と見ながら過ごしました。
近くに日本人相手のコンビニがあり、そこで二週間遅れの週刊誌やカツ丼を買いました。涙が出ました。
ちなみに完成したMVでの僕の出演時間は3秒ほどとなりました。
バンドのベーシストの扱いなんてこんなもんです。

アイルランドに写真集の撮影に行ったときの話。最初の2日間は人口100人ほどの小さな漁村にあるB&B(ベッド&ブレックファスト)という日本の民宿のような所に宿泊しました。
小綺麗なB&Bで、水道の蛇口をひねると茶色の水(※ピートウォーター)しか出ないことを除けば悪くない環境でした。外に出ると、まるで映画のセットの様な小さな村で、お店は各ジャンル一軒ずつしかありません。
魚屋さん、服屋さん、コンビニのような雑貨屋さんとレストラン…全て一店舗ずつです。そしてアイルランドと言えば楽器屋さんとPUB。
撮影が終わり、お楽しみの夕食です。村に一軒だけあるレストランはメニューは少ないですが味はイギリス圏にありながら(失礼)なかなかのモノです。特に“ニンジンとトマトのスープ”は抜群でした。

食事を終えるとPUBに行きます。この村では毎日、夜8時を過ぎると村中の男たちがPUBに集まってきて、黒ビールを飲みながら交代で楽器の演奏をするのです。楽器も、バイオリン、バンジョー、ベース、ティンホイッスル(縦笛)という独特の編成で、次々に演奏者が交代しながら全員で音楽を楽しんでいます。
みんなが演奏できる事を不思議に思うかもしれませんが、ずっと同じキーで演奏しているので簡単なワンフレーズだけでも演奏できれば誰でも混ざることが出来ます。実際、ほとんど同じことを繰り返しているだけの人が多かったですが、みんなすごく楽しそうでした。
僕は毎晩、葉巻を咥え黒ビールを飲みながら、その光景を見るのが楽しみでした。

ライヴと撮影のため1週間ほど台湾に行きました。着いた直後から記者会見やTV出演の連続でした。その中で当時200以上もあると言われたケーブルTV局のいくつかに出演させていただきましたが、その一つに台湾名物「夜市」でのロケがありました。
夜市(ナイトマーケット)とは簡単に言えば商店街と屋台街が合体したような巨大なマーケットですね。台湾にはあちこちに夜市があるのですが、それぞれ個性があり、毎日行っても飽きません。

夜市の入り口で“うりぼう”(猪の子供)が売っていたり、やけに手足の長いドラえもんみたいな人形が売っていたり、強烈な臭いの、その名も“臭豆腐”(チョウドウフ)が売っていたり、当時はまだ日本に上陸していなかったタピオカミルクティーを飲んだりと楽しいロケでしたが、僕の楽しみはライヴスタッフ達との晩飯と称した飲み会でした。
観光客など絶対にこないであろう地元の飲食店で夜な夜な“しじみの醤油漬け”をツマミに紹興酒のロックを浴びる様に飲むのです。
しかし、これが悪かった。


なんとアタってしまったのです。

ライヴも撮影も控えているので生モノは食べていませんし、「絶対に生水は飲まないでください」と言われていたので水はペットボトルを買っていました。

それでもアタってしまったのです。
なぜか?…そう、紹興酒を飲むときの“氷”です。溶けた氷=生水なのです。

その日の夜中から朝までトイレから一歩も出られず、翌朝は早朝から取材とロケ。どれだけ「キツイ」と訴えても仕事は止められず、仕事が終わる夕方までなんとか耐え、やっと救急車で病院に搬送されましたが、薄情なことにマネージャーも通訳の方も帰ってしまい、僕は一人で全く分からない台湾語の診察を受けました。
診察室はそのまま病室で、右隣は骨折で唸っている男性、左隣は泣き叫ぶ子供、向かい側には臨終間近で家族に囲まれた高齢男性、その隣にはベッドに正座して一人で喋り続けている高齢女性に囲まれるという、全く病気が治る気がしない環境の中、3時間の点滴を受け、終了後は一人でタクシーで帰りました。
その時間、僕以外は火鍋を楽しんでいたそうです。

この恨みは死んでも忘れません。

でも、翌日からまた懲りずに飲み歩いたことは内緒です。

他にもイタリアの城塞都市でガチの迷子になったり、LAのSkid Row(危険地域)で屈強なガードマンに囲まれながら撮影したり、返還前の香港で撮影したフィルムが全部入ったバッグを置き引きされたり、オーストラリアの砂漠で滅多に降らないという雨に降られたり、ロンドンでびっくりするほど不味い焼きそばを食べたり…エピソードには事欠かないですが、どれも今になれば楽しい思い出です。

しかし、僕は普通に観光旅行がしたいのです。
顔のむくみを気にすることなく、常夏の島で暑い衣装を着る事もなく、何もない所で放置されることのない普通の観光旅行がしたいのです。リゾートを楽しみたいのです。普通に楽しい思い出を作りたいのです。

次こそはその願いが叶いますように…。

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