20何年ぶりに行ってみた 懐かしいというより、ほぼ知らない街だ 何を見ても、興味で真っ直ぐに歩けない 人が多く居るところも、人気の無いところも、歩いてみるとやっぱり近年できたであろう店舗が古い家屋やビルを改装して点在する。 古い商店街には懐かしい看板や古いチラシが貼ってある、古い時間の痕跡がそこかしこと残っていた
やっぱり感がはんぱない。 え~~~~そうなの~~~って思うのは 信頼がないってことだ 昨年9月から知り合いのオーナーさんに頼まれて、人手不足から夜のお仕事をお手伝いしていた。 ほんの少し技術や業界のことを知っていたほうが働きやすいと言う事もあり、人を探すのは困難なのは理解しているので、いよいよ困ったら言ってくださいとはオーナーに伝えてあった。 私は私で7月に3年続けたお商売のお弁当やさんを辞めていたので できるものなら仕事をしてもよいと思っていた。 利害が合えば
一昨年に父が10月にお星様になりました。 しきたりに従って初詣は控えました。 今年は母をつれて初詣に行けたことは、格別に喜ばしい事だと思います。 やはり この一年で母の体力も、記憶力も随分と落ちたけれど、 歩いて初詣に行く事ができたのは幸せな事であるわけで、これがあと何回できるかと思うと一回の重みをかんじました。
随分と昔から、私の発言に うえから目線 と評価されることがあった。 久しく目にしなかったこの単語なのだが 今朝あるサイトで目にした。 その人はリアルな知り合いか、 SNSだけでの 評価なのかはわからない 。 誰かということが問題ではなく、 そう第三者に感じさせてしまう何かがあるのか? ということが気になった。 直接的に私と話す機会のある 人間はかなりかぎられるので たぶんネットの文章からくる印象なのだと思う。 だとすると、文章の書き方に問題があるのか
相手がその気じゃなくなった時、必死で繋ぎ止めようとしてもダメよね。 かえってこじれちゃう 諦めというより 認めるって感じかな