第二の故郷で得た知見~ベトナム留学last~

前回の続き

1.海外留学すること

海外留学は色々な形がある。大まかにまとめると海外留学は異文化交流というのがメインになると思っている

海外の人と生活をしたり、海外の人と生活を一緒にする
別の意見はもちろんあると思うし、異文化交流という部分だけに注目すると「え?留学ってそんなもん?」と思う

でも僕のいう異文化交流でできているという状態は少し条件がある

■あくまで交流であること
■○○らしさを持つということ
■そこに対して心を持つこと

■あくまで交流であること
よく海外に行った後に「アメリカは○○だったけど日本のこういう部分はよくない」などむやみやたらに批判する人がいる。
その人たちは本当に交流できているとは言えないと思う。交流なのであくまで色んないい部分悪い部分をしっかりと理解して自分事にする

日本文化と海外の文化を行き来する必要がある。これは異文化交流において大切な意識だと思う

■○○らしさを持つということ
自らに枷をはめて固定観念に自分をあてはめるわけではない。
プライドを持つことの大切さだと思う。
ベトナムでは日本人は真面目というイメージが強くあるみたいだった。僕も少しは真面目だけど基本的にはふざけていたい人間なのでかなりふざけていたと思う。プライドなのかわからないけど、日本人=真面目というような大きな括りに自分が含まれていることが許せなかった。

「僕はこういう人間だ(ビックダディー風)」という主張を姿勢として表現したかった

交流において大切なことはありのままを表現することだと思っている

■そこに心を持つということ
異文化交流する時には、受け入れるための器が必要になる
自分のやりたいことに夢中でいっぱいいっぱいになることだけでは心は満たされていくけど、そこに文化を受け入れるスペースはなくなっていく

どんな時でも心に余裕をもって異文化から受け入れる心を持つ。
そして自分のやりたいことを行うということが異文化交流するために必要なことであると信じている

2.最後に:改めて今後続けていきたいこと

異文化交流のために上のことを意識するわけではない
海外生活では長い時間をかけて色々なひとを理解していくということを学んだ。それは僕の血肉となって、今や普通に自分の形になっている

ベトナム留学が終わってもうすぐ2年がたとうとしている

■起きた事実をしっかり受け止める
起きたことがいいものでも悪いものでも自分でかみ砕いてみる
これがいいものでも悪いものでも自分の納得いく形にしていくようにする。そのままにしていくことはどうにもならないし、素材のままにしていると経験上、悪い部分だけにフォーカスしてしまっていい方向にはいかない
考えて悪い結論だったら、それについての処置をすればいい

■あきらめる
異文化交流ではあきらめる部分も多くあった。
生活環境は性格などに影響する部分は大きくあると思う。20年生活環境が違う人たちと一緒に過ごすうえでコミュニケーションだけでは解決できない部分もたくさんある。
これは諦めるしかない。「○○したい」は自分のエゴであって、誰かの願望ではない

「人を幸せにしたい」という願望で一致していても共通項が多いだけで手法や感じ方はだいぶ異なるものだと思う。

これに関しては諦めるというのはある意味、能力もない僕には必要なことだし、もしかしたら最強の武器かもしれない


5章に分けたものの、ストーリー性があるわけでもないし、単純に思い出のようなものだった

しかし、あの時考えなかったことでも再考することができたので満足感は高い

誰かにとってのものではなくて、やっていく中で”考える”ということ自体には自分にとっての発見になった。

毎日更新ではないけどこれからも続けていきたい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?