第二の故郷で得た知見~ベトナム②~
前回の話
https://note.com/yoshioka0101/n/n779da7bf16e0
1.ベトナム生活のスタート!
私の研修先はベトナム・ホーチミンという場所でその町はベトナムでも都会のほうにあるので、観光客や駐在員も多くいる。
ただ道路などは微妙に工事中になっていて、インフラ整い中という感じだった。
研修はまず日本語学校でのガイダンスを受ける。
教務部長の方がメインで教えてくださって、とにかく面白かった。
これは笑ってしまうという感じではなくて聞き入ってしまう面白さだった。
未だに”笑える”という方の面白さを求めてしまう私は自分の稚拙さを2年越しに感じた。
1日の中でガイダンスの時間は1~2時間ほどでガイダンスが終わると基本的には引継ぎの資料を見るという時間になった。
なぜなら次には大きいイベントの運営とプログラム(日本の紹介)作成があった
(内容は詳細書くのは、よくないかなと思ってだいぶ曖昧にしています)
とはいえ、私たちが所属する部署の部長さんが出張のため、特に何もできずに一日終わっていた
仕方ない状況ではあったものの、正直焦りが先行していた
休学して海外に来ている。それが名刺のような表面上のもので終わるのは嫌だった。
謎の不安感に追われているタイミングでどっと仕事が降りかかってくる。
一緒にいった女性の研修生(以下、相方)と話し合いながら進めていたが、メンタルはかなり弱っていた。
その中でもイベントを運営する学生はとても助けになっていた。
ベトナムの文化や食べ物などを教えてくれたおかげで生活に慣れることを手伝ってくれた。
日本のことを紹介する授業では1コマ90分×30クラスを前期と後期で行っていたので忙しさには拍車をかけた。
相方との関係性もかなり良くて授業で起きたことや改善などを話し合うことを日常的にしていった。
大きなイベントの準備にはトラブルがつきもので学生同士がけんかしたり、ベトナム人と深く交流することでベトナム人”らしい”がよく分かった。
ベトナム人あるあるなのかも知れないけど、実行委員と呼ばれる学生の人数は増えたり減ったりラジバンダリで「実行委員の学生何人いるの?」という質問に対して「んー、一応20人(今のところ毎回、参加してるのは5人)です」という人数が把握できないうえにふり幅が大きいということがよく起きた
そんなこんなトラブルがあったり、引っ越したり(笑)色々ありながらイベントが当日を迎えた
しかし、ベトナム人っていうのはめちゃくちゃエネルギッシュ!!!
よーい、どん!!!→笛よりより早く走る(笑)
ここをタッチしたら戻ってください!!→タッチしない(笑)
人には触れないでください!!→突っ込む(笑)
危険なので走るのは禁止です→参加者全員走る(笑)
やり直しに継ぐやり直し(笑)
イベント内容わかっちゃうねw
もうぐっちゃぐちゃですww
それに加えてベトナム人は楽観主義です
トラブルが重なりまくってる中でボールを持ちながら「宍戸さん宍戸さん(本名)バスケットボールみたいだね!!」とドリブルをしてるんです
それどころじゃないからwww
今ぐちゃぐちゃだから!!!!!!
日本人ってちゃんとルールを守って偉いんだなと思うと同時にベトナム人は楽しむイベントを完璧にやるのではなくて、楽しむイベントを楽しむことができる純粋な人なんだなと思いました
イベントは成功??に終わって理性を保つパワーのなかった私は
「宍戸!」と大声で呼ぶ相方に「うるせえ!」と謎のコミュニケーションをとりました
本当にこの人じゃなかったら嫌われてると思います。
疲れすぎた私は帰り際にお辞儀している謎の真っ赤な人形を写真に収めました
この調子だとパート10ぐらいまで行きそうなので気を付けます
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