第二の故郷で得た知見~ベトナム留学①~
2020年はコロナで海外留学を予定したものや旅行をする人はほとんどいなかったと思う
この問題は日本だけではなく世界的にといえるだろう
そんな私は18年度に留学へ行った。月並みな言葉だけど、第二の故郷での生活は楽しくて、辛くて、たくさん逃げながら笑った思い出がある。
今回はnoteを通してそんなベトナムでの生活を振り返りたいと思う
※タイトルは20代で得た知見という本を参考にしてますww
2018年にベトナムのホーチミンへインターンのため留学をした。
大学の制度ではなくてあるNPO法人のプロジェクトを使って行ったため一年間休学をすることになった。
元々教員になろうと思っていた私は大学4年という時間で残せるものの少なさと今の自分が教壇に立っても何も与えられることがないと思っていた。
大学入学時にふわっと描いていた生活の中に海外で英語がペラペラに話せる自分が映像としてあったが、本当に留学するとは思ってもいなかった
(ベトナムは英語が話せる人が少なく、結果的に英語はうまくならなかったというしょーもないオチ)
留学での研修内容は国ごとで様々ある。
向こうの地域の大学へ行くこともあるし、地域貢献のための自由研修もある。私は日本語教師として日本語学校に勤めた。
留学前は特に準備したわけではないけど、プログラム先から出た課題をする日々だった
読書して作文を書くというものと計画などをレポート形式で書くというものだった
人間として未熟だったので作文はぎりぎりでちゃんと読んでなかった
その中でも思考の整理学はかなり印象的で今でも時々見直すことがある
毎日は淡々と過ぎるもので1月に合格発表から3月までお別れする間もなく、ベトナムへ行くことになった
出国時には友達に地元の名前が入ったTシャツをもらった(パジャマ)
同じ便でベトナムへ行く人もいたのでその人と待ち合わせをして乗る予定だった。
ドキドキしてそわそわして、座ると貧乏ゆすりが止まらないので立つけど、待ち合わせ場所に先についてしまったのでうろうろするわけでも行かずにいた
海外で1年間過ごすことは自分の中ではチャレンジングなことだった。
でもそこには怖さはあまりなくて心は楽しみとわくわくで埋まっていた。
一緒の便に乗るはずの研修生と合流して飛行機に乗った。
一年間、Japanese コンクリートを踏まない生活が始まる。
列を挟んで隣に座っている子どもが大人に見えて、飛行機は精神年齢を少し上げるんだなと思った。
~続く~
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