『うんこバスター』とは私のことである
私は小学校6年間の音楽会で一度も鍵盤ハーモニカとリコーダー(他の楽器に立候補しない人が自動的に担当する楽器)以外を演奏したことのないような凡な人間です。そのためたまに小学校時代のエピソードを聞かれても碌に気の利いた返しなどありません。けれど、だからといって思い出が全くないというわけでもなく、いつも決まって真っ先に頭に浮かぶことはあったりします。ただそれが人に話すようなものではないのです。私自身、平時は普通の大人として社会活動を行っていることもあり、どうにもこれから先の人生でこの話をするのに適当な機会がありそうにないと思ったため、この場を借りて思い出の供養としたいと思います。めちゃくちゃ便が出てきますのでご了承ください。
時期が少し曖昧なのですが、あれは恐らく私が4年生か5年生の頃でした。当時の私は授業においても居眠りをしてさぼるわけでもなく、かといって先生の言うことを細大漏らさず聴こうとするほどに熱心というわけでもなく、やはり凡な小学生だったと思います。そんな私はある日のある授業で思いがけない苦境に陥ることになりました。めちゃくちゃな便意が押し寄せてきたのです。どこの学校でもそうであったかはわかりませんが、少なくとも私の通っていた小学校では校内で排便をすることに対する忌避感のようなものが暗黙のうちに共有されていました。記憶する限り私の小学校ではなかったように思うのですが、学校で排便を行うと『それ』系のあだ名で呼ばれるということも話として聞いたことがあり、そういった噂も児童の校内での排便行為を抑圧する一因だったのだろうと思います。その時の私は額に玉のような脂汗を浮かべながら、日課の排便を疎かにした早朝の自分を恨みました。しかしそうは言ってもその時の私の便意にも相当なものがあり、もはやトイレに行かないという選択肢は残されていませんでした。つまらない授業の内容とは違って、私の便は細も大も漏らすことができなかったためです。先生が話している際に手を挙げてしまうと多くの注目が私に向いてしまうと思い、せめてもの抵抗として授業が班で考える段になりチラホラと私語が聞こえ始めたのを見計らい、私は意を決して小さく手を挙げました。
「お、なんやトイレか?そんなんは休み時間に行っとけよ。まあええわ。ちゃんと手洗うんやで」
大きな声で先生がそう言うのを、恐らくクラス中が聞いたでしょう。それまでざわざわと鳴っていた私語がピタリと止み、そして一瞬の後に先ほどよりも大きなボリュームで再開したような気がしました。私は先生の軽口に答えることもなく、真っ赤になった顔で逃げるようにして廊下へと飛び出しました。扉を挟んだ教室からは先生が私語を窘める声が聞こえてきました。この時の私に神に縋るより他にどのような術があったでしょう。
誰もいない廊下を一人急ぎ、なんとか私はトイレへとたどり着きました。ところで、この時には私はついさっき教室でデリカシーのない先生に辱められたこともすっかり忘れてしまっていました。なぜならこの時点で私は教室で便を漏らすという考えうる最悪な事態は免れていたためです。すっかり安心しきった私は、さながら便という名の白球が便器という名のスタンドへ入ることを確信したように、ゆっくりとそれでいて着実な歩みで個室前へと向かいました。しかし、昔から「百日の説法屁一つ」、「蟻の一穴天下の破れ」とありますように、この時の私は最後まで油断するべきではありませんでした。そこには私の想像だにしていなかった光景が広がっていたのです。なんと便器が見たこともない異様な形をしていたのです。今の私であればそれが「和式」便器なるものであるとわかったでしょうし、通っていた小学校が100年近くの歴史をもつことからも少なからず予想できたことでしょう。しかし当時の私にとってそれは正に未知との遭遇でした。生まれてこの方自宅に備え付けられていた便器は洋式でしたし、両親の実家のトイレも同様でした。そのため、先述した理由から学校でトイレに行くことのなかった私は、そもそも便器が洋式であると思い込んでいたのです。しかし、知らなかったで済む問題ではありません。もはやこの時の私には、その奇妙な楕円形とも長方形ともつかない穴に己の内に肥大した便意をぶつけるより他にありませんでした。私は得体の知れない恐怖に曝されて泣きそうになりながらも、それを振り払うようにして固く目を瞑り、そして履いていたズボンのゴムの部分に手をかけると勢いよく腰を下ろしました。
「案ずるより産むが易し」とはよく言ったもので、排便自体は驚くほどにあっけなく終わりました。ことを済ませた私は真横に据えてあったトイレットペーパーを手に取り、後処理を済ませました。しかし、この時すべてを終えたはずの私の胸には言いようのない不安が残っていました。つうと背中を汗が伝いました。思えば、夏の暑い日だったような気がします。私はどうか杞憂であってくれと願いながら、その時初めてまともに自分の排泄した便の姿を見ました。ところで、私の不安はよく当たるような気がします。嫌な経験は忘れ難いと言いますから、実際にはそれほどでもないのかもしれません。いずれにせよ、この時の経験が私にそう思わせている大きな要因であることは確かでしょう。なんと私の便は収まるべきところ、つまり便器の中にはほんのひとかけらさえもなく、大胆にもその真横、私の足元にこき下ろされていたのです。この時の私はさながら縋るべき神にでも扱き下ろされたように絶望していたことは言うまでもないでしょう。小学4、5年生というとある程度自分で自分の身の回りのことがこなせるような年齢ですが、誤って便器の外に出された便を処理する方法などは当然教わっておらず、当時の私は狼狽の末にその便を放置して何食わぬ顔でトイレを後にしました。
教室へと戻った私は自分でも驚くほどに落ち着いていました。いつものようにさぼりもせず、かといって集中もせず授業を終え、休み時間になると自然に友達の輪の中に加わり談笑を始めました。
ああ、なんだ。自分がぼろさえ出さなければなんということもないじゃないか。もう忘れてしまおう。あれは悪い夢だったんだ。
そんな時でした。何やら隣のクラスが騒がしいのです。私は野次馬でもしようと友達と一緒になって騒ぎのもとへと向かいました。騒ぎの中心は学年でも人気なお調子者でした。私たちと同じく野次馬をしに来た同級生らの真ん中で何かしきりに言っていました。
「誰かがうんちしてたんやって。そんで全部失敗してんねん。ほんまやって。あ、ほらお前見てきたやろ。どうやった──」
一気に血の気が引きました。盤石だと思っていた私を支える土台そのものがぐらりと崩れたような気さえしました。そうです。思い返してみれば私の犯行は何の後処理もされずにすべてがそのまんま放置されているのです。私は何を落ち着いていたのでしょうか。思い返すと、先ほど一緒に談笑していた友達の目が私を笑っていたようにも思えました。
「思うにな、これうんこしたんはさっきの授業中やと思うねん。だって〇〇(お調子者の名前)休み時間なってすぐうんこしに行ったもん。誰もおらん時は扉開いてんねんから一個前の休み時間からあったんやったら絶対誰か気付いたやろうし」
お調子者はさながら探偵気取りで犯人捜しを始めました。犯人がすぐ目の前にいるとも知らずに。そしてついにその言葉を口にしたのでした。
「やから、さっきの授業でトイレ行った人が犯人やってこれ」
私の頭をひとつの想像が一瞬にして巡りました。しかし、冷静な私の部分がすぐにそれを断念しました。今この場でその想像を実行したとして、それは私が犯人であると自供する行為に等しい。それに何よりこれ以上罪を重ねるなんてことはしたくない。この時点で私は自身が有罪判決を待つだけの存在であることをすっかり自覚しました。
「二組はおらんかったよな。ほんじゃあ一組は?」
奇しくも私の組は三組でした。同じ組の人たちが私のことを見ているのがわかります。なぜならあのデリカシーの欠片もない先生によって、私が授業中にトイレに行ったことはクラス中が周知しているのだから!!ああ、神様。こんなのは生殺しです。どうかひと思いに──
「え、おったん!?誰!?」
「「え」」
私と私のクラスメイトは同時に素っ頓狂な声をあげてしまいました。
いた!!いたんだ!!他のクラスにも授業中にトイレに行った間抜けが!!
これで少なくとも容疑者は二人になりました。私はほとんど授業も終わりかけの頃に教室を出たので、私が「うんこはすでにあった」と証言してしまえば、その人にうんこをなすり付けられる。悪い気はするけれど、背に腹は代えられない。ああ、神様は私のことを見ていたんだ。心底からそう思いました。
「あー、なんや。じゃあ違うわ。だって性別違うもん。うーん。じゃあ最後三組」
私の運が尽きた瞬間でした。
その後、私は悔しさや恥ずかしさからくる涙を少したりとも抑えることなく、自分の便の後処理をしました。それから一年ほど、私のあだ名が「うんこバスター」になったことは言うまでもないでしょう。