野獣
仕事やプライベート問わず、アジアとやりとりする時は、どうしてもメッセンジャーやWhatsAppなんかの会話が流れていくアプリを使いたがる傾向があるのは(インドを思い出す)、会話というのはそもそも流水のごとくすべてが流れていくものだという考えが背景にあるのではないかと思ってしまった。よきこと悪いことすべての過去は水に流してしまえということなんだろうかと大袈裟にも考えてします。
その一方で欧州では仕事と認識される事項はこういうアプリはまず使われることはない。このようなメッセンジャーはプライベートの連絡や飲み会の連絡くらいにしか使われるシーンはない。ましてや仕事の連絡をWhatsAppでしようものなら、失礼にあたるとさえ思っても、あながち間違いでもない。それくらい、仕事でなされる会話とは流れていくものではなく、石に刻み込む合意事項を作る作業だということで、流れて行っては困るものだと思われているのではないかと大袈裟にも考えた。
ところ8年ウィーンに暮らしている僕はといえば、もはや欧州のこの石に意志を刻み込むのだという文化に慣れてしまったので、仕事の連絡事項なんかがWhatsAppでそれも大量に流れてきた時には、辟易してしまう。これは流れていくようなものではなく、僕らは合意を作ろうとしているのではないか、なぜこんな流れていくような会話をしなければいけないのかと20倍くらい疲れていく。インドで展覧会やった時なんかは、もうそれは凄まじいものだった、すべての連絡や確認事項なにから何までが、1日数百通?いやそれは大袈裟でもないと思うけど、とにかくすべてがWhatsAppを通じて流れてきて、何がなんだかもうわからない。あとから確認しようと思っても、すでにかなり前のスレッドを辿らないと見つからないし、こんな非効率なものどうしてやってるんだと思ったが、それぞれの土地の文化なのだということで辛抱していたけれど、あまり体によいものじゃないなと思った記憶がある。
さて、もう一回欧州に戻ってみると、ウィーンもそれそれは凄まじいものがある。仕事の連絡で送ったEメールの返信が来るのに1ヶ月とかが普通なのだ、これはこれで何も流れないので困るけど。
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