小学生が漢字テストの練習でカンニング?②継承語と宿題の関係を分析する【368】
前回の記事で、オンラインで個別サポートをしているある小学生の行動について書きました。
カンニングの疑いのような行為をしていた子ですが、その行為をしたその子がいけないと言う発想ではなく、その子をそのような行為に追い込む環境について考えたいと思いました。
私がこれまでに読んできた中島和子さんの「バイリンガル教育の方法」やジョン・ハッティ「教育の効果」などの書籍を読んでいると、その子を取り巻く環境が特別なケースなのではなく、いろんな場面で起こりうることだということが分かります。
今回は、「日本語で学ぶ学校に通わずに日本の小学校と同じ進度で国語・算数が進められるのか」「小学生における宿題はどれぐらいの効果があるのか」という2つの観点からこれまでに学んだことを記録しておきます。
「宿題」は逆効果にもなる
半端な量ではない宿題
今回はオランダ国外の週末補習校に通う小学生のサポートでしたが、週末補習校で出される宿題の量は「これを次までにやらないといけないのか、、、」というぐらい半端ではない量でした。
私がサポートしている子の場合、国語と算数の両方が出されていて、国語はワークと漢字テストの勉強(読み書き)、作文が出されています。中には、読解のプリントや子ども向け新聞記事の切り抜きなどを使って、内容をまとめたり意見を書いたりするものもあります。そして、算数はワークの宿題が出ています。
ちなみにオランダでは、学校によって異なりますが、宿題が出ない学校もあります。その場合、中学校になってから急に宿題が課されるようになるので少し大変だと感じる子も一部いるようですが、だからといって小学校から宿題を導入するべきだという結論には至らないと思います。もちろん、学年が上がって徐々に家庭でも学習習慣をつけるという考えはありなのかもしれませんが。
覚えられる量を完全に超える漢字テスト
子どもたちは日頃、日本語ではない言語で学んでいます。日本語で学べる学校に通っている子たちは、国語以外の教科書などで漢字を何度も見る機会がありますが、週末補習校に通う子たちはそういった機会もないまま、ほとんど同じ量の漢字を覚えなければならず、さらにはそれを書けるようにしておかなければいけません。
問題文の意味が分からない算数の問題
算数の宿題についても、子どもたちは学校では別の言語で計算方法や図形などを学んでいます。そのため、概念は理解できていても文章題や専門用語を理解して解答するのが難しいようです。
例えば、簡単な足し算や引き算についても、文章題だとそれを読んで理解して式を立てて計算をしなければいけません。その際、まず問題文を読むので精一杯で「何を聞かれているのかがよく分からない」ということがあります。また、図形(四角形、平行四辺形、台形など)や分数(仮分数、帯分数)などの問題を解くときも、専門用語の理解ができていないので、自力で進めるのが難しくなります。
こういう状況で宿題をするということは、親が横についてあれこれ言わないといけなくなり、結局は「自力ではできない、日本語は苦手」という意識づけだけが残るような感じがします。
宿題の効果についての研究
以前、私の読書記録として作成した記事ですが、どうやら小学生の宿題の効果はそこまでは高くないようです。その理由としては、学習習慣が十分に身についていなかったり(むしろたくさん遊んでその中で学ぶ方が大切)、宿題がその後の自分に役立つという認識までは及ばず、ただ苦痛を強いられるという気持ちが強くなるからだと考えられています。それを証明するかのように、中学校・高校に上がっていくと宿題の効果は高くなるとされています。つまり、年齢が上がると自身の学習を相対的に捉えることができることで、効果的に取り組むことができるということです。
小学生の宿題については、長時間になるとさらに効果は低くなり、逆効果になってしまう可能性があります。動機づけの低下をもたらす可能性もあるので、日常生活に寄り添うように自然な形で学べるのが理想的だと考えられます。
継承語としての日本語はどう学ぶべき?
こちらも私の読書記録ですが、継承語として日本語を学ぶときに参考になった情報がたくさんあったので、ここにURLを貼っておきます。
継承語獲得と母語獲得のプロセスは異なる
継承語というのは、家庭内や限られた空間でしか使用されない言語のことを言います。これは、日本に暮らし日本の学校に通って身につける母語とは性質が大きく異なることをまず理解する必要があります。
母語される言語獲得の場合、日本で育ち日本の学校に通う子どもは、街中で目にする文字や耳に入ってくる会話、教科書やワークは日本語で書かれているもので学ぶので、自然と語彙や表現力はある程度まで磨かれていきます。日本語の勉強でも特に難しいとされる漢字についても、日本にいればそれだけインプットの機会が存分に用意されているので、認知的な問題がその子になければ特に困るという感覚はありません。
しかし、なぜか海外で育つ子どもたちにも、日本語環境が全く異なるにも関わらず、日本で学ぶペースと同じように学ばせようとする流れがあります。バイリンガル教育研究者の中島和子さんによると、継承語のための週末補習校は補助的なものと考え、家庭での継承語教育の充実が最も重要だと述べています。家庭教育といっても、週末補習校の宿題をたくさんさせることではありません。血の通った、絵本の読み聞かせや対話をすることが大切です。
学ぶ環境が「安心」か「不安」かでは効果は全く違う
子どもたちが「不合格」や「留年」を避けるような恐怖によるインセンティブが働いている場合、そういった学び方は早急にやめるべきだと思います。失敗すると罰が与えられるようなシステムの中で、学ぶことは間違うことが許容されずに、子どもたちが安心して試行錯誤ができなくなってしまいます。また、さらなる負の効果として、成果を誤魔化したり、難しい問題にチャレンジすることを躊躇ったりするようになってしまいます。
監視的な保護者の関わりはマイナス効果
週末補習校の宿題が大量にあって、子どもはもちろん自分から取り組むことはほとんどない状況下で、親がそれを管理し無理やりさせるという構図は、マイナスの要因しかないと断言できる状態になります。そうやって一時凌ぎで宿題を終わらせたとしても、それが何年も積み重なると子どもたちの自主的に取り組もうという気持ちや学習に対する動機づけが失われた状態が慢性的になって、子どもたちの健全な心の成長が阻害される可能性があります。そういったデメリットがあるという現実をまずは知っていただき、そこから各家庭でどんなことができるのかを考えていく必要があると思いました。
子どものペースでできることから
過去の研究を参考にしつつ、今の子どもたちの様子を見ていると、やはり小学校(特に低学年)の宿題は負担の方が大きいかもしれません。ましてや、継承語という位置付けで取り組むための気持ちを整えるのが難しい状況下で「とりあえずやらないといけないから、やりなさい」と無理やり取り組ませることはマイナスの効果がとても大きいと考えられます。そして、宿題をしないといけない理由は成績や留年という外部評価でしかなく、子どもにとっては自分の成長のためと感じにくい状況にあると考えられます。
学習というものは、本来用意されているものではなく、自然発生的に起こるものだと考えられています。継承語教育の場合、学校の科目の一部になっていないことが多いと思うので、その場合は自然発生的な場面を作っていくしかありません。例えば、日本の映画やアニメが好きだったら、好きなタイトルの本をそれとなく置いてみて、本人が求めてきたら読み聞かせをしてみたり、絵を描くことが好きな子であれば、漫画作成にチャレンジさせてみたり(この時、誤字脱字をいちいち細かくチェックする必要はありません!)、一緒に楽しめるもので日本語に触れていくことができれば、自分の好きなエリアから日本語学習を広げていけると思います。スポーツが好きな子はスポーツに関連することから、電車が好きな子は電車に関する言葉から覚えていきます。そういった子どもの世界の広がりに合わせて刺激を加えていくと、子どもたちはもっと学ぼうとすると私は信じてレッスンをしています。
このように、自分の経験や「日本語やらないとどんどん忘れていってしまう」という不安で、学ぶ機会を用意したいという気持ちは十分に理解できるところです。そこで、さらにその「質」はどうなっているのかを考える助けになれば幸いです。最後までお読みいいただきありがとうございました。
<参考文献>