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自分の言葉で話すということ474
写真はスペインのサラゴサを観光している時に撮影したものです。今回は、日頃「自分の言葉で話すことができているか」というテーマで最近考えたことを記録しておきたいと思います。
私が日本の教育を受けていた時、授業や学習において自分の考えを自分の言葉で話すという機会はほとんどなかったように思います。どちらかというと、先生が求めている答えや考え方を瞬間的に判断し、その場で求められる発言内容を選択していた記憶があります。そういった教育を長年受けていると、「あなたはどう考えるのか?」という問いかけに対してかなり困惑してしまいます。それが典型的に現れるのが面接や小論文試験において自分の考えを表現しなければならない時です。私は日本の高校現場で自分の思考を言語化できない生徒をたくさん見てきました。それどころか教員にもそういった言語化が苦手な人が多いという状況だっと思います。
オランダで暮らすようになって、話すのが好きな人たちが多いオランダの文化に触れてきました。学校現場においても、子どもたちは気持ちにはどんな種類があるのかを学んだり、友達との関係においても自分の考えを伝えることが重視(言葉で伝えないと相手は分からない)されています。このように会話が活発な学校現場や社会で暮らす人々を見て自分の中でいろんな考えが浮かんできたので「自分の言葉で話す」ことの大切さを記録しておきたいと思います。
初めにぶち当たる「面接」の壁
私自身の経験から、日本の学校に通っている生徒の多くは、授業の中で「自分の言葉で話す」というのは、まだあまり習慣化されていないと思います。もちろん探究的な学びを実践したり、グループワークなどを積極的に取り入れて「学びの本質」を理解した上で行われる授業ではそういった機会が用意されていると思います。ただ、私がかつて勤務していた学校では、グループワークといっても形式的に取り組んでいるだけのものもあり、答えがあるものをただ一緒に探すといった取り組みが「アクティブ・ラーニング」と呼ばれていたものも多く見られました。
私は進路指導部で面接・小論文の担当をすることが多かったのですが、そこで感じていたのは「自分の考えをそもそも持たされていない生徒が多い」ということでした。あらかじめ答えが決まっているものに向かっていく力はあっても、自分で問いを立てその答えになるものを求めていく力はほとんど感じられませんでした。そのため、多くの生徒は、先生から模範的に示された回答を丸暗記して、それを話すことが面接であると勘違いしていたようです。
オランダに移住した現在も、オンラインサポートで日本在住の生徒の面接や小論文対策をしていますが、「自分自身の考え」を求められた生徒たちの多くは困惑しています。しかし、ただそういった機会がなかっただけで、実際に取り組んでみると自分の答えを探すというのは楽しいと感じる生徒がほとんどです。授業で面接や小論文の対策をする時は、自分の思考を整え気持ちを整理できることに喜びを感じるため、受講してよかったと感じてくれる生徒もいました。
オランダで出会った子どもたち
日本から出て、オランダで暮らすようになってから日々新しい発見をします。特に私が驚いたのは、小学校の段階で自分の言葉で表現するスキルが多くの子に備わっているということでした。これはオランダ現地の学校でも、インターナショナルスクールにおいても同じで、むしろそういったスキルは学習の土台として重視されているようです。
私がこちらで行っている日本語レッスンでは、そもそも日本語に触れられる時間が限られているので、読み書きの学習に焦点を当て過ぎるのではなく、会話力を鍛えたいと思って取り組んでいます。なぜなら、聞いたことのない言葉や音をプリントやドリルで練習しても、それは「生きた言語」ではなく、定着させるのはかなり難しいからです。海外生活においてまず大切なことは、「私は日本語でコミュニケーションが取れる」という自信を持ってもらうことだと考えています。そのため、会話の中で語彙を定着させたり、相手の言っていることを理解して自分の話したいことを表現する機会をなるべくたくさん設けるようにしています。
思考の言語化とストレス抑制
かつて心理士の仕事をされている方とお話しさせていただく機会がありました。気持ちがしんどくなりそうな時は、自分の気持ちを認識するために「今の私はこういう気持ちになっている」と口に出すことが大切なのだそうです。
その話を聞いた時に、これは私たちの日常生活においても大切なことだと思いました。なぜなら、日常生活の中でストレスを感じた時、自分が何にストレスを感じているのかを自分で認識してそれを他の人に伝える必要があるからです。言語化して他の人に伝えることで必要な援助を家族や仕事仲間から受けることもできるだけではなく、所属する組織における問題点を解決することにもつながります。しかし、自分がストレスを感じていることに無自覚であったり、それを言語化できない場合、周囲の人も問題があるのかどうかを理解することができないので、根本的な問題解決につながらないことがあります。さらに本人のストレスは限界値を超えるまで高まる危険性もあります。だからこそ、自分の思考を認識してそれを言語化することはとても大切で、個人のストレス軽減と組織における問題解決にもつながるのです。
言語化できない生徒の授業
はっきりと線引きをすることは難しいですが、オランダやその他の国に暮らす生徒の授業をする時は、大抵みんな自分の意見を持っています。例えば、ニュース記事を見て日本語で自分の考えを述べる活動の時には、日本語の上手い下手に関わらず自分の意見を持っていて、それを表現しようとします。むしろ伝えたいことがあることがモチベーションを高め、言語習得を加速させると言えます。
しかし、日本の中高生の多くは先述した通り、求められている答えを先に言おうとするので、自分自身のことについて説明できない生徒が多いです。自分と向き合ったり、自分について話す機会が不足していることで、不安定な思春期に過剰なストレスを抱えることにもつながると思います。
将来について考える時、職業などは具体的に決まっている必要はありません。しかし、自分が好きなことがはっきりしていない生徒もいて、勉強は進学するための手段に成り下がり、点数を取ることが勉強の一番の目的になっている生徒たちは楽しそうに学ぶことができません。私が担当することが多い社会科の科目でも歴史を学ぶ面白さよりも効率よく暗記する方法などを求められることがありますが、そもそも興味がなければ理解することもそれを土台にした知識の定着もできるはずがありません。しかし、とにかく大量に暗記するためのレッスンを求められると困惑してしまいます。仮に大量に知識をインプットしたいとしても、それならば尚更きちんと理解する必要がありますが、そこに学んだことを言語化したり思考を整理する力がなければ定着させることはできないのです。そのことを授業ではなるべく何回も話すようにしています。
今回のように、学校生活だけではなく社会に出てからも職場や家族と過ごしていく土台として、自分の言葉で話す機会がもっとたくさん増えてほしいと思います。