郵便ポストが赤いのも自分の責任
責任感を持って仕事をしなさい。
これはどこでも誰でも言われる言葉の一つではないでしょうか?
自分の仕事に責任を持つ、自分の仕事が周りにどのような影響を与えるのか
自分の周りも、仕事の先にあるお客さんや患者さん。
多様なクライアントに対しての影響も考えると、中途半端な仕事はできません。
しかし、この責任って言葉は社会生活を始めてから、今までもとてもたくさん聞いてきました。
改めてこの言葉は「便利」であると思います。
言葉の意味を改めて見つめてみましょう
「責任」とは、「立場上当然負わなければならない任務や義務。自分のした事の結果について責めを負うこと」を意味しています。
「責任感」は、「自分の仕事や行為についての責任を果たそうとする気持ち」とあります。
責任は立場や仕事の状況により自然に発生しうるものであり、避けられるものではありません。
例えば会社の社長であれば、その会社が何か良くないことをしてしまったとき、責任を負うのはトップである「社長」や「取締役」などの役員クラスなど、責任は自然と上の立場の人に発生しています。
もちろん、立場的には「ヒラ」社員だとしても、責任というもの事態は携わる仕事に関しては発生していることは言うまでもありません。
それに対して「責任感」というものは、自然発生的なものではなく、人により持ち合わせている場合やほとんどそれを持ち合わせていない方もおられるようです。
上記に上げましたがあくまでも「気持ち」を表すものであるため、強制できるものではありません。
これに関しては各社員に「自覚」してもらう必要があり、会社としては全員に対して持っていてほしい「気持ち」です。
当社でもこの言葉はよく耳にします。
「自分の会社やと思って考えて仕事に取り組んでほしい」と入社してからすぐの段階で言われていました。
入社すぐの若造にいうことなんだろうか?とも思いながら、そもそも私もこの会社自体に長くいるとは思っていなかったので
当時はそこまで責任感というものは持ち合わせてはいなかったように思います。
実際、私の本業は「鍼灸師」でありますから、そちらのために一時的に身を置かせていただくところという感覚で入っていましたから、なかなか「自分の会社」という認識はすぐには浸透していきませんでした。
実際に今もどこまで「自分の会社」と意識することができているかはさなかではありませんが、立場が上がったことにより単純な「責任」は以前よりも増したことは事実です。
そのような環境が変化したことにより、自然と「責任感」も備わってきているのかもしれません。
それに、苦楽を共にしている同僚の存在も発生したり、部下ができたりなど、そういった変化というのはやはり心境の変化も促すようです。
しかしながら、それなりに自分では変わっているかもなぁと思ったとしても、社長的には物足りなかったり発言の一つ一つがまだ「人任せ」のような感じで受け止めるようで、そんな時によくおっしゃるセリフがこちらです。
「郵便ポストが赤いのも自分の責任」
初めは何を言うてるんや?と思いましたが、意図としてはすべての事柄は自分にも責任がある、だから会社内においても誰かがしてくれるだろうという認識ではなく、自分にも責任があると認識しすべての事柄についてもっと興味をもってほしい。
という意図のようです。
これは正直とても難しいもので、誰かに任すということをした際に、進捗状況を報告してもらったり、今後の予定を組んでもらったりしていたとしても、そのリアルな情報をいかに正確に迅速に伝達ができる仕組みを構築するか。
うちの場合、社長のスピードと我々のスピードが合わず、食い違いが生じたり、「できていない」「やっていない」「無責任」ということをよく言われます。
通常の業務をこなしながら隙間時間で、タスクを消化する、自分一人で完結できるならするが、ほかの情報や誰かから情報を得なければ先に進めないものなどは、相手との足踏みを合わせながらいかねばならない。
かといって、足踏みを合わせている間に、先に社長から「あれどうなってる?」と聞かれて、現状を報告したらもう遅くて「なんで何も進んでないねん」となる。
となれば、相手を待ってはいられなくなりますから、相手の状況はある程度は考えつつも半ば強引にやっていく必要がある。
そうすれば当然のごとく「通常業務」に遅れが生じてしまう。
この状況をどう打破すべきか、本当に郵便ポストが赤いのは私の責任なのだろうか。
いろいろなことを考えながら、今日も寝床についた
じゃあ皆さんおやすみなさい。