見出し画像

レールから外れるということ


レールを外れる定義は人それぞれで、そもそもレールという概念がおかしいという考えもあり正しいレールという指標はないんだと思う。
ただ私にはハッキリと自分で大勢が走る人生というレールから外れたな、という自覚がある。多分外れたことがある人にはだいたいその自覚があると思う。


97%ぐらいの人が進むであろう道を自分から外れた。違う場所に行こうとして、結果その通りに違う道に進んだ。
一切後悔はしていない。するぐらいならそもそもこの道を選択しなかった。
この道に進むと決めた時、未来のことなんてどうでもよかった。この先の人生なんて何も分からないし、どんな風に見られるかも理解はしたけどどうでもよくてただ今いる道を走り続けることは出来ないと思ったから。


レールを外れるということ。それについて善悪があるのかはわからない。これがいい事なのか悪いことなのか。どうなんだろう?
ただレールを外れるということは、レールを外れるということだ。ただその事実は一生私についてくる。
過去は一切変えられない。他人から見た私は一度ドロップアウトしたことがある人間だ。
多数派が少数派を見るということはそういうこと。
自分で自分のレールを敷くということはとても難しい。色んな人が進むように出来ていたレールを走れなかったのに、一からレールを敷くということが簡単なわけが無い。
全く楽じゃない。自分という現実を突きつけられる。自分の空っぽさ、何もなさ、何も持っていないことを直視しないといけない。
そこでやっとレールを敷く準備が始まる。レールを外れるというのは、他のレールを走ることじゃない。自分で自分の進む道を一から整備するということ。

私は幸い自分がドロップアウトした過去を話しても辛辣な言葉を投げかけてくる人は今までにいなかった。だから直接面と向かってドロップアウトしたことについて何かを言われたことは無い。
でも本当のところどう思われてるかは分からない。多分ドロップアウトしたなりの人間だと思われていると思う。自分がそう思うから。
今私は、過去に逃げ出した場所にまた向き合っている。そうすると自分の現実にありありと対面する。
一度逃げても、その逃げた現実は本当に自分にやってくる。私は人との関係の築き方から逃げた。その逃げたことによる、対人関係の無茶苦茶さが今切実にやってきている。
上手く人と健全な関係を築けない。相手との距離感の測り方をいつも間違える。全部昔の自分が欠点として認識したものの何とかしようとせず逃げたものが回ってきた。


ドロップアウトしても、なんとかなるよ大丈夫だよって言ってくれる人がいる。優しいと思う。私はそういう言葉に何度も救われた。
でもそういう人って結局自分の人生変わってはくれないんですよね。いやその言葉に何度も心が軽くなったし、何度も感謝した。
ただ、甘い言葉だけを聞いていてやっていけるほど人生は甘くない。
なんとかなるってどういうことでしょう?
色んな人が、周りのたくさんの人が手にしている幸せを自分も貰えることが何とかなることではない。何とかなるというのは自分の命が続いているということだと思う。
なんとかなるはみんなと同じになれるでは無い、みんなと同じでなくても生きてはいける。
なんとかなる=また今いる道に戻れるでは決してない。その道に戻るというのはドロップアウトしたら相当の覚悟と努力がいる。

当たり前なんだけど、たまに忘れてしまいそうになるので。
レールを外れるのは一瞬、しかし戻るのは永遠。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?