うららかすぎて鳩になる
春、空気がとてものんびりしている。
ここ最近、ふとした時に俳句の歳時記をめくっては、何とはなしに眺めることが多い。『芸人と俳人』という、とても面白い本を読んだことがきっかけで定型俳句に興味を持ちはじめ、一ヶ月ほど前に買ったものだ。春、夏、秋、冬、新年と五つの季節の季語が網羅されている「合本」というやつで、今はまだ「春」の欄だけをつまみ読みしている。「花曇」「田螺鳴く」「桜蘂降る」「恋猫」、これまで知らなかった言葉をいくつか手に入れると、僕は少し得意な気分になった。小学校の頃、教科書を先読みして、まだ授業では習っていない数学の公式を覚えたときの、あの感じに似ていると思った。
巻末の付録に「二十四節気七十二候表」というものが載っていた。一年を四つに分けて四季、さらに六つに分けて二十四節気、さらに三つに分けて七十二候と呼び、それぞれに季節の移ろいを表す、天気や生き物の様子が名付けられている。古代中国で考案されたものらしい。七十二候ともなると、たった五日ごとに季節の名前が変わるのだけれど、それぞれに先人たちの豊かな詩情や自然への鋭い眼差しがこもっていて、なんだか感服する。
七十二候は中国と日本それぞれに異なったものが存在しているのだけれど、その中国版の方に「鷹化為鳩」という候があった。現在の暦で言うと三月の十五日から十九日に当たる。「鷹化して鳩と為る」と読み、「獰猛な鷹が春のうららかな陽気によって鳩となる」と言う意味だそうだ。なんだか少し間が抜けていて、いかにも春、というのんびりした雰囲気を感じて、とても良いなと思った。少し笑ってしまった。
休日、鴨川のほとりに腰をかけてぼーっとする。陽差し柔らかく、風も爽やかで気持ち良い。目の前で鳩が数羽、地面をしきりにつついている。この鳩たちが実はみんな鷹で、春が過ぎると突然元の姿に戻って、大空を旋回し始めたらどうなるだろう、と考えた。すでにトンビが大量にいるので大した違いもないような気がした。あるいは、この鳩達、鷹ではなく、実はトンビなのかもしれない。上空を飛び回って餌を探すのに疲れたら、一旦姿を鳩に変えて川辺でのんびり地面をつつくのだ。ただし春限定。
「鷹化して鳩と為る」があまり気に入ったので、ベンチに座りぼーっとしながら、似たような言葉を作ってみることにした。
「虎化して猫と為る」
「蜂化して虻と為る」
「熊化してレッサーパンダと為る」
「土佐犬化してポメラニアンと為る」
「ハンマーヘッドシャーク化して出目金と為る」
「キャビア化して数の子と為る」
「餓鬼化して一つ目小僧となる」
「般若化してひょっとこと為る」
「金剛力士像化してお地蔵さんと為る」
「西郷隆盛化して二宮金次郎と為る」
「蒙古タンメン化して味噌煮込みうどんと為る」
「叙々苑化してスタミナ太郎となる」
「ゴディバ化して森永と為る」
「和太鼓化してタンバリンと為る」
「ハーレー化して原付と為る」
「総合病院化して診療所と為る」
あたりでズレてきたことに気付き、
「怪人二十面相化して裏表のある人と為る」
が出たところで、限界だと思ってやめた。
ちなみに「ハバネロ化して獅子唐と為る」は「獅子唐」という漢字がハバネロよりも強そうなのでボツになった。
春は無益な事を考えるのにちょうど良い季節だ。穏やかな日差しに包まれ、腑抜けた顔で鳩を見ていたら、一瞬鋭い目つきで睨まれたような気がした。
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