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三輪車とマラッカの夕日 - 1

深夜に日本を発った飛行機は、翌朝静かにクアラルンプール国際空港の滑走路へと降り立った。2015年8月21日。旅の始まりはマレーシアからだった。慣れない入国審査を終えて到着ロビーへ。僕はとりあえず落ち着ける場所を探した。初めての海外一人旅。緊張した心を静めるための時間が必要だった。しばらく歩いて空いているベンチを見つけ、腰を下ろし一息つく。

クアラルンプール国際空港は、しばらく歩き回っても全貌を把握しきれないほど広くて立派な空港だった。周りを見渡せば、顔立ちも肌の色も違う様々な国の人々。知らない言葉で書かれた案内表示。嗅ぎ慣れない香辛料の匂いが漂ってくるフードコート。異国に来たんだ、という事実をつくづくと実感した僕の心拍数はなかなか平常に戻らなかった。

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最初の目的地はマラッカと決めていた。歴史豊かで、美しい街並みが世界遺産に指定されているマレーシアの古都。有名な観光地だから旅もしやすい、とガイドブックに書いてあった。旅人レベル1の僕でもそれなりに安心できて、かつ都会すぎない観光地。旅の最初に訪れるには丁度よさそうだ。それに、僕はこの街で一度見てみたい景色があった。

マラッカまでの行き方は事前にガイドブックや旅ブログを読んで調べていた。分かりやすいルートだから心配はない、とのことだったので楽観的に構えていたのだけれど、すぐにその考えは甘すぎたと知ることになる。見知らぬ言葉の通じない土地で、目的の場所まで移動するというのは想像以上に大変なことだった。

空港からシャトルバスに乗りたどり着いたKLセントラル駅。文字通りクアラルンプールの中心であるこの駅は、新宿や東京といった日本の主要な駅とそれほど変わらない都会的な駅だった。朝から大勢の人で賑わっている。マレーシアは多民族国家なので、その辺を歩く人を見ても外見からは現地の人かどうか見分けがつかない。そのうえクアラルンプールは大都市で、外国人の出入りも多い。だから一人旅の外国人観光客などきっと珍しくもなんともないだろう。それでも僕は「大きなバックパックを背負っていかにも旅人です、という格好をした自分は浮いて見えないだろうか」などとどうでもいいことを気にしていた。こんなところまで来てまだ他人の目を気にしてるのか、と自分の小心者ぶりに悲しくなる。同時に「これから先、旅を続けていけばこんなことも気にならなくなるのだろうか」と考えた。
いや、難しいだろうなきっと。

マレー鉄道の予約をするため窓口を探す。マレーシアの次はタイへ向かう予定だったから、あらかじめ座席を予約しておこうと思ったのだ。ネットの情報では、目印の看板を見つければすぐに分かると書いてあったのだけれど、その看板が一向に見つからない。そこまで広い駅でもなさそうだし、そのうち見つかるだろうと当てずっぽうに歩き出したのが間違いだった。10kg以上あるバックパックを背負ったまま、気づけば僕は一時間以上も駅の中をぐるぐると彷徨っていた。途中何度も周りの人に場所を尋ねようとしたけれど、下手な英語が笑われるんじゃないか、冷たくあしらわれるんじゃないかと不安で声をかけることができない。20歳を目前にしても精神年齢はまるで子供のまま。異国の都会のど真ん中で独りヘトヘトになった僕は、そんな自分があまりにも情けなくて、泣きそうになった。
(その後決心して駅員さんに尋ねると、とても親切に対応してくれて、あっけないほど簡単にマレー鉄道の窓口は見つかった。ますます情けない。)

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KLセントラル駅から電車でTBSバスターミナルへ。このバスターミナルはとても観光客に優しいつくりになっていて、迷うことなくマラッカ行きの高速バスチケットを買うことができた。
疲れもあって眠りこけていたのだろう。バスに乗っている間のことはほとんど覚えていない。2時間ほどでマラッカのバスターミナルに到着した。クアラルンプールのそれに比べると少しローカル感の漂うバスターミナルだった。中を歩くと、レストランや両替所、土産物屋、なぜかビーチサンダルが大量に並ぶ雑貨屋など色んなお店が並んでいる。目に映るもの一つ一つが新鮮で(マクドナルドやサブウェイなどの見慣れたチェーン店もあったけれど)、しばらく辺りの店を眺めて過ごした。

マラッカのバスターミナルから街の中心部にある宿の近くまで行くにはタクシーと路線バスの二つの手段がある。当然タクシーの方が簡単かつ確実に目的地まで行けるのだが、僕は迷わずバスを選んだ。何しろタクシーだと約20リンギットかかるところ、路線バスはわずか2リンギット(≒60円)という破格の値段。貧乏旅行者の僕が迷うはずもなかった。多少苦労することになったとしても絶対バスで行ってやる。バックパッカーという人種には移動手段がローカルかつ安価であればあるほどそれを誇りにする性質があるが、この時の僕にはその気持ちがとてもよく理解できた。ターミナルを出た僕は、声をかけてくるタクシーの客引きを断固とした態度で交わしながらローカルバスの乗り場を探した。

宿の予約サイトに書いてあった情報を頼りにバスを探していると、ロータリーにちょうどそれらしき車体が到着していた。車内は後部に二人掛けの座席が2列、前方は左右にロングシートという日本でもよく見かけるつくりになっていた。すでに席は埋まっていたので、背中からバックパックを降ろし前方の通路に立つ。バスはすぐに大きなエンジン音をたてて走り始めた。これまでの移動手段と違い、このバスは明らかに地元住民の足といった雰囲気がある。そんな居心地の悪さもあってか、僕は少し緊張していた。そして乗ったはいいものの本当にこのバスであっているのか?とだんだん不安になってきた。違うバスだったらどうしよう。全然知らない場所で降ろされたら戻ってこられるのだろうか。いきなり迷子なんてことになったら目も当てられない…。慌てて地図のGPS表示を見ると一応目指す方向には向かっているようだった。しかしまだ確信は持てない。隣を見ると地元の人と思われる優しそうな顔をしたおばさんが立っていた。頭に水色のヒジャブを巻いていて、手には大きめの手提げ袋をぶら下げている。買い物帰りといった雰囲気だった。僕は思い切って拙い英語で尋ねてみた。

「ディス バス ゴーズ トゥ シーサイドモール?」

宿の最寄りのバス停は「シーサイドモール」という名前だと調べてあった。おばさんは一瞬、英語はあまり分からない、というような顔をしたけれどシンプルな言葉だったので意味は伝わったらしく、Yesと頷いてくれた。よかった安心だ。ホッとして車窓越しに過ぎる景色を眺めていると、さっきまで高まっていた緊張が少しずつ解けていく。解けた緊張は次第にまだ見ぬマラッカの街に対するワクワクに変わっていった。バスが停留所に着くと、おばさんは僕の肩をトントンと叩いて「ここがシーサイドモールだから降りなさい」と教えてくれた。僕はできる限りの笑顔で精一杯の感謝を伝え、バスを降りた。

こうしてなんとか無事に目的地まで到着した僕は少し成長した気分で、予約していたビクターズゲストハウスへチェックインした。

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