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別れの日、新しい日々の始まり

12月のよく晴れた休日。
鎌倉行きの電車で、私はぼろぼろと泣いていた。

その日は憧れの町への引越しだった。
荷物は前日に送っており、持ち物はスーツケースがひとつだけ。
ハンカチをうっかり全部引越しの荷物に入れてしまったものだから、横須賀線の車内で、私は服の袖で何度も涙を拭っていた。

そもそもの話をしよう。
私が引越しを決めたのは3年間付き合った彼氏との同棲を解消するためだ。

29歳からの3年間。
決して短くはないその時間を、私は4歳年上の彼氏と過ごしてきた。

彼は出会った当初からメンタル系の病気を患っており、昼夜逆転の生活を送っていた。夕方目覚めて明け方眠る。そんなライフスタイルのため、彼はほとんど仕事をしておらず、ほぼ一日ベッドの上でスマホゲームをするような暮らしを送っていた。

病気はいつかきっと良くなるだろう。
いや、一緒に暮らせば、必ず良くなるはず。

付き合い始めた当初、そう信じていた私は彼氏を同棲に誘った。
彼はもともと海外で暮らしており、コロナと病気を機に帰国していた。だから、当時はホテルや友人の家を転々としており、私からすると不安定な暮らしをしているように見えた。
幸い、私の家は一人暮らしには広い方だった。2人で住んでも何の問題もない。

治療のためにもきちんと住処を確保した方がいい。
一緒に住んだらきっと生活も落ち着いて、彼もきっと元気になる。

ピュアだったなと思う。ある意味では愚かだ。
病気に対する何の知識もないくせに、自分といればきっと彼の不調は改善していくと根拠もなく信じていた。脳内がお花畑だったのだ。好きだという気持ちに浮かれて、現実的な選択なんてものは一切見えなかった。
好きな気持ちがあれば何でも乗り越えられる。そう思い込んでいた。

3年間、正直しんどかった。
彼のことが大好きだったぶん、彼といると何も気を遣わずに素の自分でいられたぶん、彼が世界で一番私に対して優しい人だったぶん。
生活リズムが合わないことが苦痛だった。ずっとベッドの上でスマホゲームをしている彼を見るたびに、やるせないような、腹立たしいような気持ちになった。

彼の病気は、多少は良くなったと思う。
私と暮らし始めてから徐々に薬を飲む頻度は減っていったし、今は通院もしていない。
私から見たら落ち着いているように見える。

だからこそ、ずっと動こうとしない彼を理解できなかった。
私から見たら、彼は良くなりたいとか、健康的に生きようとか、そういうのは思ってないようだった。ずっと病気でいる人生を選んでいるように思えた。

何度か話し合ったとき、彼は再発が怖いのだと言っていた。だからきっと仕方ないのだ。
彼は、私にはわからない恐怖を抱えて生きている。動かずに、じっとベッドの上にいれば安心するのだろう。それが今は彼にとっての幸せなのだろう。

じゃあ、私の幸せは?

理解あるフリを続けて、一生彼と暮らすのか?
本当は朝から旅行に行ったり、年甲斐もなくディズニーランドで耳をつけるようなデートもしたいのに。飛行機に乗って遠出をしたり、私の地元に行って美味しいものを一緒に食べたりもしたいのに。

私はただただ、朝起きてカーテンを開けたかった。
朝起きて「おはよう」って。
一緒に温かいココアを飲んで、美味しいパンを食べたかった。

そんな愛おしい暮らしを彼と叶えられたら良いのにと、ずっと、3年間ずっと思っていた。

引っ越す前に一度、彼と喧嘩をした。
彼は、ひとりで勝手に引越しを決めた私のことを「ばかだ」と言った。
お金がないくせに引越しをするのはばかだと。

彼は、お金さえあれば何でも解決すると思っているようだった。
10億円あれば、俺が働いてなくても気にしないでしょ?

私が何度も伝えたつもりだったことは、どうやら何も伝わっていなかったみたいだった。

私はただ、健康に暮らしたいだけなのだ。
お金はもちろんあれば嬉しいけれど、お金よりも何よりも、彼に合わせて徐々に夜行性になってしまった暮らしをやめたい。家の外に出るまで晴れているのか曇っているのかもわからないような。遮光カーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中で人生を終えたくはないのだ。

もう、話し合っても聞き合ってもダメなんだなと思った。
彼は「健康な暮らし」なんてものを望んではいない。10億円あれば、今の暮らしを続けても問題ないと思っている。10億円あったところで、私は今の暮らしをしたいとは一切思わないのに。10億円あったらなおのこと、一緒に旅行に行けたり、朝から晩まで遊び倒せるパートナーを選びます。

人を変えることはできない。変えられるのは自分だけだ。

私名義で借りている部屋なのに、ある意味家出のような感じで、私は家を出ることに決めた。

彼は家の解約ギリギリまで留まりたいと言った。
優しさではなく妥協から、私はそれを承知した。

なるべく早くに家を出ることにして、新しい住処を決めて、引越しまではたったの2週間だった。
都内には週に1度は仕事でくる予定だし、まだ彼が住んでいるので、不用品は退去日までに徐々に片付けることにした。新居には家具や家電が備え付けてある。私は必要最小限の荷物を鎌倉に送った。

家には、着なくなった衣類や読まなくなった本、大型の家具や家電など、手放すものばかりが残った。

私が家を出たのは、12月に入ったばかりの寒い日だった。
スーツケースを持って玄関に向かおうとすると、ベッドの上にいた彼が
「送っていくよ」
と起き上がった。

断ったものの、ささっと上着を羽織ってきたので、お言葉に甘えることにする。

外はよく晴れていた。
歩き慣れた駅までの道を進み始めてすぐ、彼が立ち止まった。
数歩先で振り返ると、どうやらウエストがゆるゆるのジャージを履いていたようで、ジャージが下がってきてしまうらしい。うっかりするとパンツが見えてしまう。
笑いながらジャージの紐を結ぶ彼を、少し呆れながら、私は待っていた。

その時だった。

「歩いて」

彼が言った。
たったそれだけの言葉に、突然、涙が出そうになった。
彼にとっては、何も深い意味はない言葉だというのに。

私にはそれが、彼のやさしい後押しに聞こえた。

彼に背を向ける。
傷口を塞いでくれている瘡蓋を剥がしてしまったときのように。ぶわっと、心の中に柔らかな気持ちが溢れてくる。それらを直視しないように、私は背筋を伸ばして歩き出す。

何度も、この道を彼と手を繋いで歩いてきた。仕事で夜半過ぎに駅に着く私を、彼はいつも迎えにきてくれた。手を繋いで他愛もない話をしながら家まで帰った日々の愛しさを、今は思い出したくはない。

絶対に泣くもんかと思った。
私はこれまで、何度も何度も彼の前で泣いてきた。
だから、今だけは。彼の前でだけは、絶対に涙を見せない。

彼に未練があると思われるのは嫌だ。
意地があった。ちっぽけなプライドを守ろうと、景色を眺めて気を紛らわしながら歩き続ける。

歩くだけで下がってくるような、ゆるゆるのズボンなんて履かなければいいのに。
でも、私は彼のそんなだらしなささえも好きだったのだ。

彼が小走りで追ってくる。
隣に並んでから、私は敢えて事務的な話をした。
戸締りはちゃんとしてよとか、年末年始にもし実家に帰るなら連絡してよとか。そんな話をした。どうでもいい話で気を紛らわせて、私は必死に意地を張り続けた。

途中、引越し先に持っていく手土産を小さな焼き菓子屋で購入した。
1年くらい前にできて、ずっと気になっていたけれど行く機会のなかった店だ。いつも行列ができているのに、そのときは先客が一人いるだけだった。

手土産は彼が買ってくれた。
丁寧に包まれた焼き菓子は、香ばしくて優しい香りがした。

寄り道したせいで、駅に着いたのは出発時刻ぎりぎりだった。
彼からスーツケースを受け取り、
「ありがとう。じゃ」
と、互いに短く挨拶を交わして改札をくぐる。
どうせまた会うのだ。私が借りている家だし、いろいろと処分しに行かなきゃいけないし、何なら来週荷物を取りにも行かなきゃいけないし。

エスカレーターで振り返ると、彼はじっと私を見ていた。
微かに彼の手が動いた気がする。でも、多分これは「別れ」だから、変に真面目なところがある彼は、迷った末に手を振るのを辞めたように見えた。
変に真面目な女である私も、手を振るかを迷ってやめた。両手は荷物で塞がっているし仕方ないことにした。

私たちは生真面目に、別れを演出した。

時刻通りにやってきた電車に乗り込んで、乗り換えて。
鎌倉行きの電車に揺られながら、私は感じたこと、考えたことを、スマホのメモに記録した。全部覚えていたかった。この別れの日を、忘れたくないと思った。

何度も繰り返し、彼がかけてくれたたった一言を思い出しては、電車の中で泣いた。どうせ誰も気にしない。三十路過ぎた女が、真っ昼間の電車でぼろぼろ涙を流していても、誰も声をかけたりはしない。それがとてもありがたかった。

先述した通り、彼と完全に縁が切れたわけではない。
荷物を処分しに家に立ち寄る予定だから、きっとこの先も顔を合わせる機会はある。

それでも、この別れはひとつの区切りだと感じた。

今日だけは彼に涙を見せない。
そんなちっぽけなプライドを守り抜いた自分が、何だか健気に思えた。

新しい日々へ。
電車は真っ直ぐに私を運び続けた。


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