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結局同じことを言い続ける僕たち。

「僕たち」はその時代を生きるデザイナーのこと。

古いデザイン誌をときどき買う。
この20年近く、日本のインダストリアルデザインの世界が拡大をしようとしてきた中で、専門誌から得られる情報が広く浅くなったように感じている。あるとき目にしたバックナンバー(80年代とか、自分が物心つく前のもの)に載っていた情報量と熱量に感動してしまったことをきっかけに、古本屋やヤフオク、メルカリみたいなところで見つけたら買ったりしている。

編集者の名前を見れば納得なのだけど、今は界隈の重鎮とも言える立場の人たちが名を連ねていたりする。彼ら彼女らの若かりし頃、その熱量を注いだ企画や取材の内容はとても面白い。登場するデザイナー陣もまた、今や重鎮或いは伝説とも言えるスーパースターのアブラの乗りきった時代だったりする。もうすでに亡くなってしまった方も少なくない、もう本当に手の届かない憧れのあの人の若かりし頃の問いや示唆はものすごく興味深い。

時代性の影響も大きいと思う。戦後があって、高度経済成長があって、バブルもあって、急激な価値観やものづくりの変化の中で、美しさや文化や価値を問い続けているわけだから、今に比べて代謝が激しい。日本にインダストリアルデザインというものが根づこうとしていた時代なのだから、役割の重要性への自覚もあったんだと思う。体温高く代謝が激しく、記事も汗ばんでいる気さえする。あと単純に、今より予算感が大きかったはずで、挑戦的なことも多いような気はする。それはそれで羨ましい。

ある意味、歴史小説にも似ていて。知らない時代の熱量を知るよい資料だと思う。そしてやっぱし、歴史小説的だなあと思うのは、まったくのファンタジーではなく、今のデザイナーである僕たちに通じる問いがたくさんあること。
結局いつの時代もデザイナーが取り組んでいること、志向していることにはなにか共通点があるように思う。言い換えれば、我々は世代をかえながら同じ課題に取り組んでいるのかもしれない。前提条件に時代性があり、流動的なので、ミクロな視点ではやってることは違うのだけど、マクロで見たら同じことに取り組んでいると言っても過言ではない、多分。

まあ、我々の仕事が、時代に合った目的と方法で、素材と形と色やテクスチャをどうつくるかを考えることである限りは、大ブレはしないんだろうなとは思う。そしていつの時代も、モノだけじゃなく体験が大事だと言ってみたり、素材への探究心が熱量高く語られたり、その一方で純粋な美しさ、プリミティブな価値を見つめている。UXもCMFも言葉としての新鮮味はあったとしても、もともと俺らの仕事であったことは変わらない。
違いと言えば、今の方が良く言えば拡散、悪く言えば散らかっている。昔の方が良く言えば集中、悪く言えば狭義、なのかもしれない。実際に仕事をしていく上で、最近の専門誌が参考にならないと感じていたのはそれが原因で、懐古主義ではないけれど、古い誌面に刺激を求めてしまう。

まあそうは言っても、古いのに限らず新しいのも買って目を通すんだけどね。照らし合わせてこそ、だと思うので。

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