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【短編小説】不法侵入改め妹
「お帰りなさいませ♪」
高校二年生となって初めの授業を終えた俺・慧志は、満面の笑みを浮かべた少女に迎えられた。
芸術作品のような美しさすら感じるほどキレイな正座をして俺を見上げる彼女は、一言で言うならばとても可愛らしかった。やや幼さは残るものの揺らぎのない瞳や締まった表情から大人びた印象を受ける。
そんな少女に迎えられて俺は思わず頬を緩め――るどころかむしろ引きつらせた。
なぜなら俺は一人暮らしだからだ。
去年、高校進学に際して部屋を借りることとなり、一年間ずっと一人で暮らしてきた。今朝だってこの部屋にいたのは俺一人だけだ。
では、この少女はいったい。
考えられる可能性は一つしかなかった。
「今すぐ出ていくのと、警察呼ばれるの、どっちがいい?」
「なんですかその二択は⁉」
少女は勢いよく立ち上がると、意味がわからないと言いたげな視線を送ってくる。
「そりゃ、不法侵入の現行犯だからな……」
不法侵入は住居侵入罪といって刑法に定められた犯罪行為だ。通報という手段を考えるのは当然だ。むしろ、年齢などを考慮して見なかったことにするという選択肢を用意しただけありがたいと思ってほしい。
「誤解です!」
「いや、ここは六階だけど」
「違います! 階数のことではありません! わたくしが言いたいのは、不法侵入などしていないということです!」
育ちのよさそうな口調の彼女は、あろうことか不法侵入をしていないなんて言い出した。
「えっと、君さ――「凛花です!」……凛花ちゃんさ、それはさすがに無理があるよ。俺はこの部屋で一年間一人暮らしをしてたからさ」
「それはそうですけどっ! わたくしが申したいのはそうではなくてですね……っ」
わたわたとする少女、あらため凛花ちゃんは忙しなく動き続ける。
「妹です!」
「――は?」
なにかしら申し開きがあるかと思ったら、よくわからない単語が飛び出してきた。
イモウトデス? ああ、『妹です』ね。
「俺、一人っ子なんだけど……」
どうしよう。もしかしてこの子、自分のことを俺の妹だと思い込んでるヤバい人だったりする?
「そうですよね! 急に言ってもそうなりますよね⁉ えっと、ええっと……っ」
なにやら言いたいことがありそうな凛花ちゃんは、テンパっているのかうまく言葉を出せず目を回している。
その姿がだんだん可哀想に思えてきて、
「……とりあえず、中で落ち着こうか」
そう提案した。
◇
玄関からダイニングに移動してしばらく。
「異母兄妹?」
落ち着きを取り戻した凛花ちゃんが放った言葉をオウム返しに口に出す。
凛花ちゃんは頷いてから順を追って説明してくれた。
まず、父親の火遊びによってできたのが俺だということ。当時すでに凛花ちゃんの母親との縁談が進んでいたため、母と結婚することはなかったそいうだ。このことは数年前に父親が自白しており、喧嘩はあったものの現在の家族仲は良好。ちなみに父親は大手企業の社長らしい。
父親の記憶は一切なく、母も父親に関してなにも話そうとしなかったのでてっきり死んでいるものかと思ったが、まさかそんなにすごい人だったとは。
そして凛花ちゃんがここにいる理由は、簡潔にまとめるなら高校進学のため。俺と全く同じ事情だった。
凛花ちゃんはこの春から近くにある女子高に通うらしく、進学に際して俺と一緒に暮らしてみたいと進言したらしい。当然ご両親は渋ったそうだが、長期間の話し合いのすえ合意を得たとのこと。
正直、理解しかねる。一応は血の繋がりがあるとはいえ、一度も言葉を交わしたことのない息子のところに娘を住まわせるとか良識ある親のする判断とは思えない。
まあ、火遊びで子ども作ってる時点で良識なんてなさそうだけど……それはさておき。
正直同棲は勘弁してほしいのだが、実はこの部屋の家賃や俺の学費、俺と母の生活費などは父親が出しているそうで、今回の件に関して文句を言える立場ではなかった。
当事者である俺に一切の話がないのは不服だが、これ以上ぐちぐち言っても無駄なので割り切ろう。
だが、それとは別に一つ問題がある。
「とりあえず、一緒に暮らすことは了承した。けど……どこで寝るつもり?」
この部屋は1DK。高校生の一人暮らしとしては余裕のある間取りだが、二人で暮らすとなると無理が出てくる。なぜなら、このダイニングを除いて部屋は一つしかないからだ。そしてその一つは俺が使っている。
まさか、部屋を明け渡せとか言わないよな?
そんな心配をしていると、凛花ちゃんは頬を赤らめもじもじしながらこう答えた。
「その、慧志さんと同じベッドで……っ」
「え?」
耳を疑った。
同じ、ベッドで……? つまりあれか、一緒に寝るってこと? え、距離の詰め方怖い。
「えっと、うん……わかった、あのベッドは凛花ちゃんが使ってくれ。俺は床で寝る」
「え⁉ そんなのできません! 慧志さんが床で寝るならわたくしも床で寝ます!」
「なんで? ベッドで寝ればいいじゃないか」
「慧志さんのいないベッドなど寝る価値はありません」
怖い。もう発言がぜんぶ怖い。なに、なんなのこの子。どんな教育してんの?
そんな内心はおくびにも出さず、俺は努めて冷静に説得を試みる。
「い、一緒に寝るのはできないかな? 兄妹とはいえ知り合ったのは今日が初めてなわけだし、それに世の兄妹は高校生にもなって一緒に寝るなんてしないんじゃないかな?」
「他所は他所、うちはうちです」
「り、凛花ちゃんは恥ずかしくないの?」
「は、恥ずかしいですけど……いずれ結婚するので、問題ありません」
「……うん?」
今、なんて言った? 結婚?
混乱する頭を必死で落ち着かせ、ため息をひとつこぼす。
「いくら母親が違うとはいえ父親は同じなわけだし、結婚はできないよ」
「たしかに、血が繋がっているので法的な手続きによる婚姻はできません。しかし多様性のある現代、籍を入れるだけが結婚ではありません。事実婚、という言葉をご存じですか? 共に暮らし、二人で生計を立て、支え合う。それもまた結婚の形です」
「……」
え。怖い怖い怖い。いや、マジで本当に怖い。なに? なにがどうなったらそんな思考回路になるの? いや本当に怖い。
あまりの恐怖に言葉を失っていると、凛花ちゃんは控えめに笑みを浮かべた。
「それでは今日からお世話になります。よろしくお願いしますね、慧志さん」
「……は、はは」
理解の及ばない存在を前に、俺はただ渇いた笑みを浮かべることしかできなかった。
とりあえず、もし父親に会うことがあるなら一発殴ろう。