【短編小説】高2の春、妹が通い妻になった
身も凍える冬を越え、カーテンの隙間から差し込む陽射しが春めき心地よくなってきた今日この頃。
厳しい寒さもすっかり失せ春らしい陽気に包まれても、やはり布団の魔力は健在だ。出たくない。
これがいわゆる『うちの布団が離してくれない』現象なのだろう。ルビがちょっと虚しい。
そんな非生産的な考えをしながら、僕はゆるーく襲いかかる睡魔と格闘する。
二度寝したいくらい気持ちのいい陽気だが、あいにく今日は普通に学校なんだ。寝坊してサボったら、後日職員室か生徒指導室に呼び出しを食らってしまう。
頭ではわかっているのだが、体が言うことを聞いてくれない。まるで体が独立して『もっと寝ていたい!』と主張しているかのようだ。
僕も寝たい……けど起きなきゃいけないんだ。
寝たいという意思と起きなければという意思がせめぎあい、それに応じてまぶたが幾度と開閉を繰り返す。
ダメだ、起きられない……。
眠気優勢。だんだんと思考にもやがかかってきて──
「起きてよー、お兄ちゃん」
一瞬で意識が覚醒する。
先程まで僕を誘わんとしていた睡魔は何処へと消え去り、視界が開ける。
すると目の前には、あと少し顔を上げれば唇が触れ合いそうな距離に妹──和美の顔があった。
イタズラっぽく微笑んだ和美は、「おはよ、お兄ちゃん♪」と心安らぐような美声を紡ぐ。
少しあざとい感じがまた可愛い。なんて感想は、きっとまだ寝ぼけているゆえの幻覚だ。
僕はなんとか「おはよう」と乾き気味の口で返事を返し、体を起こして辺りを見渡す。
うん、ちゃんと僕の部屋だ。一昨年まで暮らしていた実家ではなく、友人のつてを使って高校進学と共に借りたアパートに違いない。
ならなぜ、和美がここに?
そんな疑問を抱いていると、僕の心を読んだかのように和美が答える。
「来ちゃった♪」
否。答えになっていなかった。
いやそんな連絡なしに彼氏の元を訪れた彼女みたいなセリフ言われても、実際は妹だし『え、うん……え?』みたいに動揺しかできない。
とりあえず。いったん疑問を置いて「何時?」と和美に尋ねる。
「朝の六時四十分だよ」
「がっつり余裕の起床だな……」
僕の通う高校は、このアパートから徒歩二十分もかからない。そして登校時間は八時四十五分までだ。余裕すぎる。
普通に二度寝する時間あったじゃないか。まぁ二度寝したら確実に寝過ごすだろうけど。
「それで、その格好はなに?」
とりあえず時間の確認が済み、僕は次に和美の姿について尋ねる。
和美は今、駅近くの桃内女子高校の制服に、中学時代から台所に立つときは必ず着用していたエプロンを身につけていた。いわゆる、制服エプロンだ。
「萌える?」
「めっちゃ萌えるけど。質問に答えて?」
「えへへ。実は今、朝ごはん作ってましたー」
少し気恥ずかしそうに微笑んだ和美は、頬を掻きながら予想通りの答えを出してきた。
「それにしても、お兄ちゃんって相変わらず寝起き悪いね」
「んー? そう?」
ベッドに腰掛け体を伸ばしながら相槌を打つ。
まぁ確かに、昔からすんなり起きるってことは少なかったような気がする。
「白雪姫は一回で目を覚ましたけど、お兄ちゃんは五回もしても起きなかったもん」
「え? なんで白雪姫が──え?」
和美の言葉に、僕は頓狂な声を漏らす。
白雪姫といえば、王妃から渡された毒リンゴで深い眠りに就いたところを、王子のキスにより目を覚ます、ってストーリーだよな。
……え? つまりそういうこと? マジで?
「……なぁ和美、一応確認しておくけど、冗談だよね?」
「んふっ♪」
俺の質問に、和美は意味深な笑みだけを浮かべ、白く細い指で唇をなぞる。
そのキスを連想させるような仕草に、僕の頭は余計に混乱した。
マジで? いやどっちなの?
もし本当なら、ファーストキスが妹でしかも自分の記憶にはないことになってしまう。
「和美? 冗談だよね? お願いだから冗談だと言って!」
しかし和美が答えてくれることはなく、「お兄ちゃん、顔洗ってきて?」と話題を逸らされてしまった。
僕のファーストキス、どうなったの……。
少しばかり悩んだ末、考えることを放棄して僕は洗面所に向かった。
和美のイタズラに付き合うのは疲れるからね。
冷水を顔に何度か叩きつけ鏡を見ると、そこには冷たさに少し顔をしかめた微イケメンが映っていた。自画自賛って悲しくなる。
ついでに寝癖なんかも直してタオルで顔を拭きリビングに戻ると、和美がローテーブルに二人分の朝食を運んでいた。
顔を洗って今度こそはっきりと目が覚めたからか、和美の姿がいっそう美しく見えた。
長く艶のある黒髪はしっかりと手入れされていて、アクセントで右側に軽く結んだのがまた可愛い。
エプロンの下に見える制服はまたシワもなく、そのきれいさがより和美の美しさを強調する。
うん、やっぱり萌える。
「手伝うことは?」
「じゃあお箸出して。あと牛乳!」
「どうして僕の冷蔵庫に牛乳が入ってる前提なんだ。まぁ入ってるけど」
僕は言われた通り二人分の箸と、牛乳を注いだコップを持っていく。
相変わらず、和美は牛乳が好きなのか。
「「いただきます」」
対面して座り、合掌する。
ご飯に味噌汁、ベーコンエッグにほうれん草のおひたしと色彩豊かな朝食に、つい喉が鳴った。
なんというか、さすがだな。
外見きれいな朝食は、味も素晴らしかった。
「美味しい?」
「美味しい」
「えへへ。もっと褒めてー」
「強欲なやつめ。めっちゃ美味しいよ、毎朝作ってほしいくらい」
「えっ」
僕が言われた通りに褒めると、朗らかに笑っていたのが一転、和美は目を点にして固まってしまった。
そしてみるみるうちに頬が赤く染まっていき、心なしか赤い瞳も潤んでいる。
「えっと、その……それっていわゆる、毎朝お味噌汁を作ってくれ、的なこと……?」
「……っ⁉ ちっ、違う! そういう意味じゃない、というか古い! それに僕たちは血の繋がった実の兄妹だろ!」
団らんな朝食の席が、一瞬にして気まずくなってしまった。
なんとか気を落ち着かせなければ。
そう考えた僕は、リモコンを手に取りテレビを点ける。
流れるのはなんてことない、朝のニュース番組。天気予報が終わり星座占いに切り替わった。
これを見るのは、いつ振りだろうか。
そんなことを考えながら、味噌汁をすすって心を落ち着かせる。
「ところで、和美はなにしに来たんだ?」
気まずい雰囲気も収まって、僕はずっと抱いていた疑問をぶつけた。
すると和美は箸を止め、
「通い妻しに来たんだよ、お兄ちゃん♪」
そう最高の笑顔を咲かせた。
男のロマンかよ……。
「あっでも、正確に言うなら通い妹かな?」
「よくわからん造語を作るんじゃない」
なんというか、そんな和美の天然なところに助けられ、僕は苦笑してごはんを口に運ぶ。
ちょっとドキッとしたのは、気のせいだ。