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相手が喜ぶために演じることはいけないことなのか

 迷惑が掛かるだろうからと他人に相談するのを苦手に感じたことはありませんか?

 私はこれまで相手に相談したり、会って話してもらうことを依頼するときはいつも相手に申し訳ないなと思っていました。時間を頂戴している気持ちで罪悪感に駆られるのです。相談しないとやりたいことも進まないとわかっているけれど、迷惑が掛かるだろうからと声を掛けるのに心理的負担を感じていました。

 一方で、他人に相談することが得意な方がいらっしゃいます。新規商品を開発したときにも意見交換と称して先方の業務時間中にヒアリングをさせてもらえる人や、会って話してみたい本の著者と連絡を取り付けて対話をされている人もいます。

 この差は何でだろうと想像することができなかったのですが、先日これらの人々に相談することがありました。すると、いずれの方も口を揃えて仰っていたのが「この人と話してよかったな」と思えるように努力をするということでした。
 こう聞くと、「自分なんかそんな価値はない」と思って臆してしまうかもしれません。けれど、努力次第で誰しもができて価値を届けられる必要最低限ともいえる行動があります。それが、今回の主題である「相手が喜ぶために演じること」です。
 具体的には、相手が話していることに大きなリアクションを取り、喜びや驚きを相手に伝わるように少し大げさに表現するということです。相談してきているのに自分の話をつまらなそうに聞いている人に力になりたいと1ミリも思わないと思いますが、少し大げさでも良いからあなたの話はとても面白いと表現してもらえるだけで話し手は貢献感と楽しかったという満足感が得られます。

 これを教えてもらったとき、私も自分の話を楽しく聞いてもらえるだけで嬉しくなるなと共感しつつも、自分の素直な気持ちを曲げてでもオーバーリアクションをすることは自分に嘘をつくことなのではないかとやや拒否感を覚えました。(たとえ、自分の気持ちに素直になることが相手の喜びと関係ないとわかってはいても。)
 とはいえ、やってみないとわからないと思ったので相談をしているときに敢えてリアクションを大きめに受け答えをしてみました。

「いや〜めちゃくちゃ価値のあるお話を聞けちゃいました。」
「価値がありすぎて驚きの連発でした。やっぱり〇〇さんに相談してよかったです」

などのように。
もちろん実際に価値を感じてはいたものの、これまでの自分だったらここまでリアクション大きめに反応することはありません。

 行動してみて気づけたのが、やってみて本当によかったということです。
これまで、相談をされる側の人は「私はあなたに協力してあげているよ」という心持ちで対応してくれていたように思えていました。しかし、今回は「私もこの時間がとても楽しかったです」という雰囲気に包まれており、「こういう時間が月1であるから頑張れるのかも」という言葉もいただけました。

 演じることは悪いことであると半ば罪悪感に駆られていたところもありました。しかし、演じようとすると必然的に自分がリアクションできるような面白いと思うポイントを相手の話から見出そうとしますし、リアクションをした後から楽しいという気持ちがついてくることさえあります。

 子どもからみれば、大げさに面白いとリアクションすることに気持ち悪さを覚えるかもしれません。しかし、少し大げさに演じることは色んなことを面白がれるようになるだけでなく、相手も喜ばせることができるので、とてもステキなことなのかもしれません。

 ちなみに、人に依頼する側も依頼される側も幸せになる頼み方の研究結果をまとめた『人に頼む技術』という本では、自分が相手に良い影響をもたらしたという感覚(=有効性)を得られることが最も重要かつ必要最低限なことであると著されています。

 今回の経験を踏まえて、相手に有効性を感じてもらえる方法の一つが相手の話に大きくリアクションするということなのだと気づけました。

 私と同じように相談するのが苦手な方は相手が楽しい時間だったと思えるようなリアクションを取ることを実践してみてはいかがでしょうか。相談するのに自分が罪悪感を感じていても相手が喜ぶことはないのだとしたら、試しに行動を変えてみるのもよいのではないでしょうか。


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