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2025-1-22:幸せの沸点

唐突ですが、あなたの幸せの沸点は低いですか?高いですか?


私の幸せの沸点は、とーーーーーーっても低いほうだと思います。

一昨昨日、「日本の名湯 一度はつかりたい憧れ 至福の贅沢」という入浴剤を買ってきたのですが、毎日入浴剤を選ぶ段階から幸せ、浸かって幸せ、家族に「今日は〇〇のお湯です~」と言って幸せ、家族が「めっちゃ気持ちよかった!」というのを聞いて幸せ…。
入浴剤一つで幸せがめっちゃ増えました ♡ たったの600円弱で幸せ増し増し。しかも2週間も楽しめちゃうからビックリです!


昔はこんなに幸せを感じて生きてはいませんでした。どちらかと言うと、不足ばかりが目について、" 私にはあれもない、これもない " と思っていた。
変わるきっかけをくれたのは、藤本さきこさんでした。

さきこさんは、あるものを見ること、感謝することの大切さを教えてくれました。
最初の頃は、" 感謝することなんてそうそうあるかい! " と思っていたけど、ある時気づきました。今、自分が受け取っているものを、いかに「当たり前」なこととして受け取ってきたのか…ということに!自分の傲慢さに気づき、穴があったら入りたくなった瞬間でした…。あれもこれも当たり前、やって貰って当たり前、あるのが当たり前…。当時の私は、本当に幼かったと思います。


" 思わず感謝したくなるなんて、よっぽどのことが起こった時くらいでしょ! " と思っていたけど、そうではなかった。

今日、お布団から起き上がれること、いつも通りに身体を動かせること、家族と「おはよう」を言い合えること、今日も太陽の日を浴びられること、家族を「行ってらっしゃい」と見送れること、会社に出勤して当たり前に仕事ができること、会社で同僚に会えること、「ただいま」と帰れる家があること、帰ったら気持ちよく洗濯物が乾いていること、水もガスも電気も当たり前に使えること、家族を「お帰り」と迎えられること、今日も夕ご飯を作れること、あったかいお風呂に浸かれること、家族と食卓を囲めること、「おやすみ。今日もありがとう。」と言い合って家族とお布団に入れること…etc
書き出したらキリがないくらい、いつ失っても、なくなってもおかしくないものを、「当たり前」と勘違いしてしまうくらいに毎日毎日受け取らせて貰っていただんだ、という事実…。

ガンが見つかって、遠くに置いていた死がいきなり目前に迫ってきたことも相乗効果となって、「幸せ」の沸点がものすごく下がったように思います。

この世の中には、本当は何一つ「当たり前」のことはないのだけれど、すっかり幸せボケしてしまっていて、大概はなくして初めて当たり前じゃなかったことに気づく。なくして初めて、あれもこれも決して当たり前ではなかったんだ、と気づき、そこで初めて、今までどれだけ自分が幸せだったのか…、ということに気づくことになるのだろうと思います。


感謝なんて、心の清い人がするものだろう、と思っていました。もしくは聖人君子のような人のすることだ、と。
だけど、決してそうではなかった。ただ単に、自分が傲慢なだけでした。

生きているうちにそのことに気づけて良かった、と思います。それは、そうできる人の方が立派だから、とか、そうできた方が人として良いでしょ、とかそういうことではなくって、毎日毎日幸せを感じ、感謝することができるって、何より自分の人生を豊かにしてくれるから、です。毎日そう感じながら生きられる人生って豊かだな ♡ と思うし、与えられていることに気づけると、変に傲慢にならなくてすむし、謙虚でいられる。そして、与えられるものの中に生きているんだ、ということがわかるようになってからは、変に固執することもなくなったように思います。


幸せの沸点はいくら低くてもよい、と思います。幸せに気づけるかどうかは、結局自分次第。
感謝は誰かのためにするものではなく、自分のためにするもの。
そんな風に思います。


今日もとりとめのない話に最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
明日もよい一日を ♡

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