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咳喘息と茨の道

まずもって咳喘息が真っ盛りでして、辛い。

毎日夜になると息苦しくなるし、日中の少し落ち着いたときに息苦しさが顔を出すこともある。

この毎日毎日というのが結構きつい。寝ようが休もうが、ちょっとずつ削られていく。生きているだけで削られる体力が、一層削られる。いつも毒をくらっているような無理ゲー感が否めない。

加えて、定例の貧困妄想である。半分本当の、貧困妄想である。

数日前に、気に入った求人があったので、試しに応募してみたが、残念ながらマッチングには至らなかった。

これまでの柔軟な勤務時間ではなく、かなり柔軟な方ではあるけれども、基本的にカレンダー通りの出勤になる仕事であった。

フルタイムであることには引っかかるものの、それだけ安定した収入があるのもまた魅力であった。かれこれ2年くらいは自由の裏返しとして不安定な収入だった僕としたは、一時はマジョリティな働きかたを夢想した。

だから、いざマッチングが叶わなかったとしても、そのような働き方を引きずっている部分があった。

ところが、今日は抱撲の奥田知志さんの講演会に行き、本筋ではないものの、柔軟な働き方を目指したいと思い直した。それは、単に奥田さんが作られている「きぼうのまち」でひとつきくらい過ごしてみたいと思ったからだ。

そうだ、そういえば、もともとは柔軟に働くことで、物理的にもいろんなところに行けることを目指したかったんだった。

もちろん得た刺激はそれだけではなかったのだけれども、教育、福祉、宗教を横断したお話しを通して、どこか僕の中にある本質的な欲求がよみがえり、それが働き方への要望に結びついたのだと思う。

どうにも不安定な日々を2年半以上過ごしてくると、時折くじける。しょっちゅうくじける。初心なんてふっとんでしまう。根拠のない不安、根拠のある不安にさいなまれる。

毎日頑張って生きている。いろんなことに挑戦し、芽が出ることを願っている。それは決して安楽の道ではない。どちらかというと茨の道を歩いているはずだ。けれども、それが自分の選んだ道だと思うと、弱音も吐けなくなるというもの。それでも、辛いものは辛いのだ。

「助けて」「つらい」と言えない社会の中で、自分自身がその呪縛にとらわれながらも、抗っている自分。

そうそう、積まれていた本の整理に励んでいる。35冊の本を読み終えたい。今はそのうちの20冊ほどを少しずつ読み進めている。1冊ずつ読むのにも飽きるので、ちょっとずつ、気の向いたものを、並行して読んでいる。

それで、この咳喘息と貧困妄想に侵された夜を乗り越えようとしている。やりすごそうとしている。


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吉村ジョナサン(作家)
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