「働かないおじさん」について~ハフライブを視聴して
ハフポストで、「働かないおじさん」について取り上げられた。ライブという形で、様々な意見が出された。
議論の内容はアーカイブに任せるとして、ここでは私の意見をまとめておきたい。
「働く」とは何か
「働かないおじさん」についてまず大事なのは、「働く」とは何なのかを明確にすることだと思う。
例えば、競馬新聞を読んでいる人がいて、それが傍から見たら生産性がなくとも、実は商品開発や営業、マネジメントに役立っているかもしれない。その場合は、「働く」に入れてもよいのではないかと思う。
つまり、「働く」とは、企業にとっての利益につながる行為全てを指すという考えだ。だから、自己研鑚や、休暇も、「働く」になる。例えば、必要な知識を手に入れるために専門家に話を聞きに行ったり、体調を回復するために休養をとることは、「働かない」に当たらない。
無駄なことに労力をかける
テレビドラマでは、よく無駄の多い働き方をする人が出てくる。刑事ドラマでは、被害者の所に何度も足を運び、事件とは関係がなさそうな所にも時間をかけて関わっていく。それが、事件の解明という奇跡的な結果をもたらす。
同じようなことが、実際の現場では起きにくいのは、無駄なことに労力をかける余裕を持ちにくいからだと思う。客観的には無駄に思えても、個人の視点からは大事に思えることはあるものだ。
「働いている」を決めるのは個人
そう考えると、「働く」ことは非常に広い言葉だと言える。「働かないおじさん」は、その上で「働く」ことをしない人を指すのだと思う。となると、「働いている」か「働いていない」かを決めるのは、客観的な指標では難しく、個人の視点で見なければならないと思う。
またもやテレビドラマの話だが、いつも役立たずで何もしていないように見える中年のおじさんが、ある事件の時に人脈や経験で見事に解決するという場面が出てくる。このようなおじさんが生まれるためには、周囲からは「働かないおじさん」と思われてでも、積み重ねてこなければならなかったものが、あったのかもしれない。
不安定を受け入れることが、安定につながる
これまでの企業では、結果を出すためには、結果を出す為にふさわしいとされる方法、結果を比較的出しやすいと思われている方法をすることがよしとされていた。他の会社が成功している方法、自社が成功した方法を繰り返すことが企業の安定につながっていた。
しかし、今は違う。企業が長く安定するためには、不安定を受け入れる必要がある。昨日までの常識を疑い、これからのための方法を開拓していかなくてはならない。自然災害や、疫病に対しても、柔軟に方法を変えていかなくてはならない。
「働かないおじさん」にならないためのインセンティブとは
そんなとき、「働かないおじさん」の定義は一義的には決められないと思う。個人それぞれが「働かないおじさん」かどうかを決めるのだから、「働かないおじさん」にならないためのインセンティブが必要になるだろう。
そのインセンティブの一つが、終身雇用の崩壊にあるのではないかと思う。終身雇用が難しくなれば、「働かない」ことは収入の減少につながる。また、「働く」ことが収入の増加につながる。
もう一つが、「働く」ことが「自分のやりたいこと」であるという状態である。「働く」ことが、「自分がやりたいこと」と一致していれば、自然と人は働くはずだ。だから、「自分がやりたいこと」が「働く」ことになるような、マッチングが上手くいけばよいと思う。
以上のことを、ハフライブを終えて考えたので、記録しておく。
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